日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
日々思うことなどを綴っています

カテゴリー〈 旅 〉

堺市といえば、私は最初に仁徳天皇陵などの古墳群を思いつきますが、次には戦国時代には自由都市と言われ、ザビエル、鉄砲伝来、千利休など、外国文化の伝播と商人の街とうゆう印象を持ちます。
そんな堺市で1日時間が空いたので、街の散策に出てみました。
先ずは、燕三条ともご縁を感じる伝統産業会館に。

燕三条でも、包丁や鋏などの産業は盛んですが、他にも様々な調理道具を作っているとゆう印象。今回伺った伝統産業会館には、包丁を中心に展示がされていました。
この堺市の金属産業に大きな変化を与えたのは、鉄砲の伝来とタバコの伝来だったとか。タバコの葉を細かく刻むために作られたのが上記の刃物。私は初めてみた刃物ですが、その当時この刃物がとても切れがよく全国に流通したことで、堺の名も全国に知れたとか。

他にも、地元では見たことのない様々な包丁も沢山展示がされていました。
港町であり、交流の地であり、商人の地であり、繁栄した堺の空気をこの多種多様な包丁たちからも感じます。

刺身包丁、蛸包丁。

鮪切包丁は、長い物で1m50cmも。

鰹切包丁。

鯨切包丁

鰻裂包丁も、その土地によって形状が違います。

桑切包丁。

堺市の伝統産業でもある鍛造製作の技術。そこから生み出される伝統に裏打ちされた形状。燕三条へ戻って、私の住む街で作られる鉄製作の現場もまたひとつ興味深く伺いたいと感じました。

次回は、堺の文化、美味しいもの編へと続きます。

私の工房から徒歩2分の玉川堂。
「この門から入るにはお客様だけ。」と父に言われてから、丸24年が経ちました。

鎚起銅器の世界に入りまして、昨日で丸24年
玉川堂で10年修行し独立させてもらい、昨日で丸14年が経ちました。
本日より、25年目。

いつものように掃除をし、いつものように窓を開け、いつものように仕事を始める。
いつもと変わらない1日。
このような日々を今も過ごせること、独立してからの14年間を振り返ると、支えてくださったみなさんへの心からの感謝が湧き上がってきます。

そして、この25年目は、お客様からのご注文をきっちりと仕上げる事と共に、私の中から湧き上がってきたものを形にすることを旨に製作に励みます。

来年の1月1日には、3年越しの鎚起銅器に関する本も出版します。
また、その他もいくつかの企画を旨に、今年いっぱいは自分の身辺の整理整頓をし、じっくりと年明けを待ちます。

成長するからこその、変わらない日々。
一歩一歩と着実に、皆様に磨き鍛えていただきならが、歩みを進めますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

私が玉川堂に勤めている際には、大阪の造幣局の新人の方々が見学に毎年来られていました。
紙幣を印刷しているのが国立印刷局、こちらは紙幣の他にも、切手やパスポートなど公のものを偽造されないよう高い技術で印刷されています。
そして、硬貨や勲章などを製造しているのが造幣局、こちらも偽造されないような高い技術が年々更新されているようです。
その高い技術は、燕三条でのスプーンやフォークなどの金型技術と源流を同じくし、その為に造幣局は、燕三条とも親交があるようです。

この硬貨を製造する技術は彫金技術であり、燕三条金型製作とゆう流れと、私たちがつくる銅器などの表面に模様を施す技術に大きくふたつに別れます。
こちらは古道具屋さんで手に入れた額ですが、旧財務省の退職記念に贈られた記念品。このような記念品をつくり重ねることで、技術を更新しているようです。

造幣局も国立印刷局も、共に独立行政法人。
特に造幣局は収益を上げるために、様々な取り組みをしています。
こちらのプルーフ硬貨は、硬貨として使うこともできますが、観賞用として製作されたもので、普段使っている効果よりも特別丁寧に製造されているとのこと。
酸化せずにピカピカと光っています。

幕末から明治にかけて活躍した彫金師に加納夏雄がいます。この加納夏雄は幕末までは刀剣装飾を生業としていましたが、明治に入り新貨幣の原型製作依頼を依頼、その技術の高さは外国の技師たちを驚嘆させたとのこと。
こちらのプルーフ効果の中心には、龍のコインが入っていますが、こちらはその加納夏雄の銀貨を模したもののようです。

こちらのプルーフ硬貨。
手に取った際の感動は言いようもありません。
普段使っているものと、デザイン等は同じですが彫金に携わるものとして、この美しさに魅了されます。

造幣局は、オンラインショップも開設しておりますので、何かの機会に手に取っていただき、実物をじっくりとご覧いただけたら嬉しく思います。

純銅とゆう言葉を最近聞くことが多く。
私なりに感じていることをまとめておきます。

純とゆう字がつくと洗練された様に感じますが、基本的には銅と呼ばれるものは99.5パーセント以上の純度を持った素材です。
銅は他の素材が混ざることで、黄銅や青銅、白銅など、呼び名が変わります。

金や銀は、純がつくことでその純度が明確になり。混ざり物がでることで、18K、10K、950銀、925銀、スターリングシルバーと呼ばれます。
ですので、金や銀で使われる純とゆう冠と、銅につく場合の純は違うとゆう認識です。

私も日々の政策で、銅以外にも非鉄金属である、金や銀、真鍮などをつかうこともあります。それぞれの特性はありますが、原理は一緒で熱をかけ柔らかくし、叩くことにより成形してゆきます。
現商品でも鍋や片手パンなどは、本体は銅で取っ手を真鍮にしていますが、これも真鍮は熱伝導率が低いので銅よりは熱くなりにくいとゆうことで使用しています。このように様々な金属の組み合わせを今後も試してゆき、商品に生かしてゆきます。

金 24K(純金)、18K、14K、10K
銀 1000銀(純銀)、950銀、925銀、スターリングシルバー

純銅
黄銅(真鍮) 銅と亜鉛の合金 5円玉硬貨
青銅 銅と錫の合金 10円硬貨
白銅 銅とニッケルの合金 100円硬貨、50円硬貨
洋白 銅と亜鉛とニッケルの合金 500円硬貨

「伝統工芸」とゆう言葉を聞いて、どんなものを想像されるでしょうか?
この言葉には多義的な意味を含みながら、使われることが多いのですが、新潟県燕市のいち職人の視点からの「伝統工芸」を書き留めておきます。

まず、私の生業である鎚起銅器、これも伝統工芸と呼ばれることがありますし、200年前から燕に伝わる技術で確かに伝統工芸です。ただ少し視点を変えて国からの指定とゆう点で見ると、燕鎚起銅器として伝統的工芸品とゆう呼び方になります。
以下、伝統的工芸品産業振興協会HPより
====================
経済産業大臣指定 伝統的工芸品とは
●生活に豊かさと潤いを与える工芸品
●機械により大量生産されるものではなく、製品の持ち味に大きな影響を与えるような部分が職人の手づくりにより作られています。
●100年以上前から今日まで続いている伝統的な技術や技法で作られたものです。
●品質の維持や持ち味を出すために、主要な部分が100年以上前から今日まで伝統的に使用されてきた材料でできています。
●一定の地域において、ある程度の規模を形成してつくられてきたものです。
====================

伝統的工芸品は全国に236品目あり、新潟県には仏壇、漆器、刃物、織物なの16品目あり、東京、京都に次ぐ3番目。伝統定期工芸品として経済産業省から認定されるには、産地として地域産業としてある程度の規模が必要なようです。

このようなシールをご覧になったことがある方もおられると思いますが、この伝産シールが貼ってあることで、産地として伝統的工芸品として認めるとゆう証となります。ただ、このシールにもコストがかかるので、実際には伝統的工芸品としての技術でつくられても、シールを張らない場合もあります。

また、工芸の世界では、「伝統工芸」と言いますと、公益社団法人 日本工芸会とゆう会の動きを指す場合が多いです。日本工芸会は「用と美」を掲げ、伝統工芸展を開催しているため、私としてはこの会のことを伝統工芸と表現することが通常となっています。
この日本工芸会を登り詰めると、「重要無形文化財保持者」所謂、人間国宝に選定される場合があります。人間国宝は1つの技術に1名と決まっているため、実力がありつつ、時の流れを得た人が成れるようです。
鎚起銅器の世界でも、異なる金属を何重にも重ね、打ち延べて器をつくる鍛金に属する「木目金」とゆう技術で、玉川宣夫さんが人間国宝に文化庁の認定を受けています。

また、人間国宝と対をなすものが、文化勲章。
この文化勲章は、工芸の世界では日展などのオブジェなどの製作する作家さんが登り詰めると、こちらも文化庁から認定を受けます。
内実となりますが、人間国宝になると助成金として年間200万円。文化勲章をもらうと終身年金として年間350万円が支給されるとのこと。
この辺りの際も興味深いです。

無形文化財とゆう言葉がでてきたので付記しておくと、燕鎚起銅器は、記録作成等の処置を講ずべき無形文化財にも指定されています。これは、「衰亡の虞(おそれ)」のある伝統的な技術が指定されることになっており、1980年に指定されました。
衰亡の虞と言われるくらいですから、当時は厳しい環境だったのだと思いますが、それからの努力の末、今では伝統的工芸品の産地としては珍しく、若手職人も多く育ち、老舗の玉川堂はGINZA SIXに店を持つほどとなりました。

現在も日本の様々な場所で、様々な形で職人さん達が日々精進している中、伝統工芸とゆう技術が必要とされるようなものとなることを願いつつ、私自身も必要とされる鎚起銅器の道を目指し、一歩一歩と進んでゆきます。

ここ最近、ネットの古道具屋さんなどで手に入れた銅器達。
ひとつは古巣の玉川堂の4代目以前のものでしょうか。
彫金が冴え渡り、また水差し本体の製作も素晴らしいもの。

もうひとつは、どこのものかわかりませんが、小ぶりの形の良い、戦後どれくらいに作られた湯沸でしょうか。
本体のつくりは材料の少ない時代につくられたと感じるものでありますが、模様を彫り込む彫金の技が、流石に卓越しています。

最後の一つは、燕市内の銅器屋さんの作。
今は廃業されている近くの銅器屋さんもので、今主流となっているへら絞りとゆう重要で高度な技術が導入されたあとに、より良き形を追求したであろう痕跡が見て取れる湯沸。

よいものを沢山観ると決めて、職人に成り立ての頃は東京上野の国立博物館に足繁く通っていましたが、今は過去につくられた職人さんの技を手に取りながら拝見することができるようになりました。
それぞれの時代での職人のみなさんが込めた技術は、必ず語りかけてくれます。
どこをどう考え、どう製作したのか。
いつかそれを文章としても纏めたいと考えています。
その為にも、まだまだ実際に自分でも手を動かし経験を重ねるときとして、励みます。

12月2日水曜より7日月曜まで開催される、東京神宮前 うつわ shizenさんでの三人展に、昨日は在廊させていただきました。
初日とゆうことで、事前予約でお客様がいらっしゃる1日。
1年振りの東京在廊に、お客様の声をお聞きできる機会のありがたさを、改めて感じる時間となりました。

そして、東京二日目。
移動前に上野の国立博物館に寄ってきました。
職人に成り立ては、月に1回はこの場所に通い、良いものを観るとゆう目を養っており、沢山のことを学んだ場所で、東京とゆう情報集積の渦の中に身を浸す大切さを、振り返っても感じる14年目の冬。
今回も、先達の技術や形だけではなく、日本の土地で数万年前から在るものの凄みや、人の祈りの力がつくりだすもの力を感じる時間です。

金工の先達のため息の出る作品達。
鈴木長吉

海野勝岷

加納夏雄

可愛い

先日、11月24日に発行された別冊太陽の「100年残すべきもの」に、長野県松本市の木工作家 三谷龍二さんのご紹介で湯沸かし掲載していただきました。

この湯沸は、鎚起銅器を通してものづくりを考えるための本出版に向けて、三谷さんに執筆をお願いする際に、デザインをお願いしたものです。
湯沸かしがお好きだとゆう三谷さんに、ご自身の使ってみたい湯沸かしを鎚起銅器に於いてデザインしていただきました。
そして、技術面や銅の特性との兼ね合いを相談させていただき、このような形になりました。

詳細につきましては、こちらのブログをご覧いただけたら幸いです。
湯沸かしづくり その1
https://tsuiki-oohashi.com/2020/04/26/3926/
湯沸かしづくり その2
https://tsuiki-oohashi.com/2020/04/27/3960/

この湯沸かしは、現在、三谷さんのお店10cmさんで取り扱いしていただいております。新たなチャレンジが込められたこの湯沸を、是非手に触れていただけたら幸いです。

このように掲載いただいたことを光栄に思いますし、鎚起銅器の技術をを次の世代、またその次の世代へと繋いでゆきたいと、改めて感じ。更に精進を重ねたいと思います。

YouTube

2020.08.15

日々の製作の模様をYouTubeページにupしております。
本当にマニアックで、ただ只管に叩き縮めている動画が中心に。
言葉では説明できにくい、銅板の展延性。金属ですので、叩くことで大きさは伸びます。と共に、口の大きさを縮めることで、高さがでてきます。
こちらの動画は、その際たるもの。

また、同じ金属である錫は融点が200度程。その錫を銅板に塗ったり。
と、様々な動画をupしております。
本当にお時間のあるときにでも、ご覧いただけたら幸いです。

こちらの動画は、7年前の三方舎様初個展の際に、社主の今井正人さんが記念としてつくっていただいた動画です。動画製作は、新潟市ツムジグラフィカ 高橋トオルさん。
今だに展示会などで流させていただき、何十回と見直しておりますが、変わらぬ製法で今も作り続けております。
燕には、200年前から続く、世界各国では4000年以上前から伝わるこの技術。是非、身近に触れていただけたら幸いに思います。

篆刻講座

2020.07.13

年に数回開催される、新潟絵屋さん企画の書家 華雪さんによる篆刻講座。
華雪さんの講座は、歴史を追いながらその時代時代の文字を彫るとゆう流れで、座学を丁寧にお話ししてもらってからの実践で、頭と手を通して、文字を捉えることができます。
今回は、漢の時代。
劉邦から始まる、長い漢の歴史の中で、画一化されゆく様々なこと。文字もその例外ではなく。地域性が影を潜め、流通するなかで私にも馴染みが出てくる形となってきているようです。
身分証明として篆刻を持ち歩く、またそれを奪うこともあった、なんて話は興味深いものです。

文字の配列も自由さから、四角の中で均等に配置されます。文字の太さも均等に。
均等だけに、彫る作業も難しくなってきます。

印を押してみながら、徐々に形を整えてゆく過程で、刃物と馴染むとともに、素材の質感を感じることの大切さを、改めて感じます。
経験不足な私は、なかなかこの素材の全貌が見えてきませんが、今回も4文字を彫り込み、大切な篆刻がまたひとつ加わりました。
手紙を書いて印を押す際の楽しみ。その一手間に感じる心地よさ。
何々レスと言われる世の中で、この篆刻が生活の中にあると安心します。
仕事とは違う集中時間でリフレッシュ。
次回を楽しみに、また鎚起銅器に励むとします。

今回の砂丘館さんは、旧日本銀行新潟支店後。
大きな畳敷きの広間から庭を眺めつつ、心地よい風が吹いていました。