日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
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鏨の種類

2021.12.30

私は、形を製作する鎚起と共に、表面に模様を施す彫金技術も学ばせていただきました。鎚起技術は玉川堂で、彫金技術は燕市内の彫金師 長谷川清師匠のところで。
師匠とはありがたいもので、修行時代は厳しく指導いただきましたが、独立してからは事あるごとに心配してくださり、私が訪ねることを待ってくださっていて。伺えばお茶を出しいろんな話をしてくださいます。その話の中、ふとした時に技術的に重要なことも出てきます。

昨日も、師匠が先輩から最近いただいたとゆう鏨を見せてくださり。その先輩とは100歳前くらいとのことですが、スプーンやフォークに文字彫りをされていた彫金師の方。
鏨を研ぐことを、私たちは刃を付けるといいますが、師匠もそのもらった刃付けの微細さを初めて見て驚いたとのこと。
当然ながら私も初めて拝見し、その微細さを更に微細にしたと表現したいような刃付けに、この鏨の資料的価値を感じました。

22年前に初めて師匠に教えていただいた時のメモ紙を取り出し、来年は各種資料整理も課題のひとつだと実感します。
燕市には、大別して工藝彫金とスプーンやフォークなどの型彫り彫金と2つの流れがありますが、師匠はその両方の知見を持っていられる方。貴重な話を来年も焼き付けておきたいと思います。

口打ち出し湯沸といえば、鎚起銅器で代表する技術のひとつ。
腕自慢の職人が多かった時代に、鎚起銅器の技術の先でどんなことができるのか、競い合いの中から生まれた技術と考えます。
ですので、どこが難しいのか、どこが要点なのかを、先ずは知る必要がある。
玉川堂六代目の工場長を担っていた父は、私が玉川堂へ入社した際にも、口打ち出し湯沸をよく作っていました。
その父は、「口の形がわかるまでは、口打ち出しはつくったらだめだぞ。」と、私に言っていました。

その理由が、数日までにふっと理解できた気がします。
今年は、湯沸や薬缶をたくさん作らせていただきました。その湯沸は本体と口は別々につくり、口を後から嵌め込むものですが、このような湯沸と口打ち出し湯沸はフォルムとして近くなくてはならい。とゆうこと。
それは製作工程上、口打ち出し湯沸が一番難しく、多くの職人が失敗する所でもあります。それでも、普段作っている湯沸にフォルムを近づけることが、職人たちの腕の見せどころだったのでしょう。

今、父は既に引退していますが、4年前に父から口打ち出し湯沸を教わる機会がありました。
それ以来も、腕を見せるよりもお客様に喜んでもらえる形の湯沸をつくりたいと思い、普通の湯沸をつくっていましたが、来年は父の思っていた口打ち出し湯沸をつくってみます。

4年前に父に教わった際の口打ち出し湯沸は、まだ完成前。

この湯沸を見ても、父が伝えたかったこと、フォルムの中のどこを重視しなければならないのかは、今なら理解できます。
4年前にはわからなかったこと。来年こそは、また一枚の板から。

銅板も金属なので、叩けば伸びます。
こちらのカップは、材料と比べてみた図。
一枚の板から叩き上げる鎚起銅器では、金鎚で叩いてはバナーで焼き鈍し柔らかくする。を繰り返しますが、このカップで12回ほど繰り返しました。
本体部分の材料が伸びながら、口径は縮まり高さが出てきます。

芸術大学などでで説明されている鍛金の製作方法と違い、鎚起銅器では材料をできるだけ無駄なく使えるようにとゆうような製法になっていると聞きます。
詳細にお伝えすると、底を張り出してゆく製法なのです。

以前ざっと計算したときには、最初の一枚の板より1.3倍は表面積が増えていました。
器をつくりながらも材料の貴重な時代を感じます。

先日、北極冒険家の荻田泰永さんとお会いし、お話をお聞きする機会がありました。その中で感じたことを、今後の考察を深めるために、徒然なるままに書き留めておきます。

職人を続けている中で、質問される中で一番多いことは、「叩いている時に、どんなことを考えていますか?」なのですが何か期待を込めて仰っている雰囲気の時もありますし、もしかしたら「無心で」とゆう言葉を待っておられるような気もします。実際は、雑多なことを考えているわけですね。「今日のご飯は何にしようか。」「これからのイベントは、こんな形はどうだろうか?」「洗濯物を取り込まなければ。」「あの娘はどうしているだろうか。」などなど。荻田さんも、同じ質問をされるとのことで、答えも同じようなことでした。足はマシーンのように一歩一歩と進む、頭の中は今では思い出せないようなことばかり。と。
私の場合も、行為としての手は、勝手に動いてゆくのです。左手を回しながら右手は金鎚を下し続ける。これは、身体に染み付いているものですから、特に考えたり意識しなくても自然に行われることであります。その感覚を、極地を探検する方と共有できたことがなんとも職人としての自信となりました。
また、極地で危険を察知する感覚は、いつも立ち上がっているとゆうお話を聞いて。私も叩いている作業で違和感があれば、それはすぐに察知できるなと思ったのです。
行為として機械のように動く身体思考として目の前のこととは全く別のことを考えている頭感覚としていつも違和感を感じるために立ち上がっている五感と、今のところはしておきます。
そこで思い起こしたのが「作業中は、何か音楽など聞いておられるますか?」とゆうもうひとつの質問。私はいつも無音の中で作業しています。
今までは、自分のリズムを失いたくないからと答えていましたが、実は、それは五感を奪われたくないからなのだろうと思ったのです。
頭は何か考えている、身体は銅板を叩いている、感覚はいつも張り巡らされている。だから、音は聞けないし聞きたくないのだろうなと。
この辺り、一気にかきましたが、これから深く考えてみたいところです。極地で、その三点が屹立している人の話を実感として聞いただけに、納得のゆく話でした。そして、私も自分の先を見れるように環境を整えます。

新潟市秋葉区の三方舎さんよりご依頼いただき、ギャラリーの看板製作をさせていただきました。
今回は、その製作工程をお伝えいたします。
先ずは、打ち合わせし大きさを決め原稿をいただきます。
今回の看板はパソコンデータでいただきましたが、特に決まった書式があるわけではなく、紙媒体に手書きでいただいても対応することは可能です。
三方舎さんからいただいた原稿を反転し、柔らかくした銅板にロゴを写します。この度の看板は40センチ×50センチ。

銅の看板づくりや表札は、先ず裏側から文字を打ち出し、その後、表側から表面を整える工程。この黒い物体は松脂といい、油と砥の粉と煤が混ざったもので、熱すると柔らかくなり冷えると硬くなる性質があり、コンロで何度も温めながら、徐々に文字を打ち込んでゆくとゆう作業が続きます。

こちらの鏨とゆう道具も、鉄の棒を加工し50本以上の種類を使い分けます。

おたふくと言われるハンマーも数十グラムの重さの違いで、削ったり穴を開けたりと自ら製作したもの。

裏面完成。

表面に付いた松脂を綺麗に落としてから、地模様を叩き入れ、今度は表側から整えるように文字の表面を鏨で整える。
1センチほど折り込み立体にし、四隅を錫で固めたら形は完成。仕上げに入ります。

形が完成した看板を綺麗に磨き込んだら、硫化カリウムをお湯に溶かしたものに漬け込み真っ黒にし。
文字部分を磨き出し。

緑青硫酸銅の混合液で1分から2分煮混むことで玉虫色に発色します。

こちらで看板が完成。今回は、外壁に設置されるとのことなので、段々と緑青が吹き、徐々に緑色が濃くなってゆくかと思います。度々訪れられる場所だけに、三方舎さんでどんな風に育てゆくのか、ご覧いただけたら幸いです。

錫を叩く

2021.12.15

Facebook機能が、3年前の日記を思い出させてくれ、ちょうど昨日upした錫を叩く作業だったので、こちらでもupさせてもらいます。
3年前、工房に通っていた者が叩いていた錫の塊。
やってもやらなくてもよい作業であるかもしれませんが、これを繰り返し繰り返した時間があることで、何かの際の自身になるように思います。

鉄鍋で錫を溶かす。

叩いて平らにする。

また、鉄鍋で溶かす。
の繰り返しで、金鎚の使い方とリストを鍛えます。

久々に動画を撮ってYouTubeにupしてみました。
鎚起銅器に於ける「均し」作業です。

銅鍋づくり体験では、「皆さんに入れてもらう鎚目は模様のようなものなので
入れても入れなくても良いです。」とお伝えしていますが、普段の製作ではほぼ金鎚で製作するので、金鎚の跡は必然的についてしまうものです。

それを最後に小さい金鎚で叩き整える作業を「均し」と言います。読んで時の如くといいますか、成形段階では大きな金鎚でガンガンと叩いて進めるので1ミリほどの中でも厚みに差がでます。その差を叩き整えるので「均し」とゆう作業です。

以前の彫金がメインの鎚起銅器製作の際には、この鎚目を全部削り落とし、彫金模様を施していました。

ですので、皆さんにお伝えしている銅鍋づくり体験での鎚目入れは、やっぱり模様入れとゆう表現だなと振り返る午後です。
金鎚が平らに落とせるようになるまでは、錫の塊を叩いて平らにしては鉄鍋で塊に戻し、また叩くとゆうことを仕事終わりに1週間続けました。
入社して最初に、金鎚との関係性を覚える修行の始まりです。