日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
日々思うことなどを綴っています

先日、感じたこと。

2021.12.20

先日、北極冒険家の荻田泰永さんとお会いし、お話をお聞きする機会がありました。その中で感じたことを、今後の考察を深めるために、徒然なるままに書き留めておきます。

職人を続けている中で、質問される中で一番多いことは、「叩いている時に、どんなことを考えていますか?」なのですが何か期待を込めて仰っている雰囲気の時もありますし、もしかしたら「無心で」とゆう言葉を待っておられるような気もします。実際は、雑多なことを考えているわけですね。「今日のご飯は何にしようか。」「これからのイベントは、こんな形はどうだろうか?」「洗濯物を取り込まなければ。」「あの娘はどうしているだろうか。」などなど。荻田さんも、同じ質問をされるとのことで、答えも同じようなことでした。足はマシーンのように一歩一歩と進む、頭の中は今では思い出せないようなことばかり。と。
私の場合も、行為としての手は、勝手に動いてゆくのです。左手を回しながら右手は金鎚を下し続ける。これは、身体に染み付いているものですから、特に考えたり意識しなくても自然に行われることであります。その感覚を、極地を探検する方と共有できたことがなんとも職人としての自信となりました。
また、極地で危険を察知する感覚は、いつも立ち上がっているとゆうお話を聞いて。私も叩いている作業で違和感があれば、それはすぐに察知できるなと思ったのです。
行為として機械のように動く身体思考として目の前のこととは全く別のことを考えている頭感覚としていつも違和感を感じるために立ち上がっている五感と、今のところはしておきます。
そこで思い起こしたのが「作業中は、何か音楽など聞いておられるますか?」とゆうもうひとつの質問。私はいつも無音の中で作業しています。
今までは、自分のリズムを失いたくないからと答えていましたが、実は、それは五感を奪われたくないからなのだろうと思ったのです。
頭は何か考えている、身体は銅板を叩いている、感覚はいつも張り巡らされている。だから、音は聞けないし聞きたくないのだろうなと。
この辺り、一気にかきましたが、これから深く考えてみたいところです。極地で、その三点が屹立している人の話を実感として聞いただけに、納得のゆく話でした。そして、私も自分の先を見れるように環境を整えます。