日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
日々思うことなどを綴っています

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鎚起銅器といえば、この色。と言われるくらいに代表的な色として広まっている金古色。なんと表現していいのか、光の当たり加減で青色にも緑色にも見える、所謂ところの玉虫色。
この色を出すためには下地づくりが大切で、錫の焼き加減が重要になってきます。
私は、表札にしか金古色を使っていませんが、このような下処理や道具の整備を今年は行ってゆきたいと思い、ひとつひとつ整理してゆきます。
金古色の見本は、このような色合いです。

金古色下処理。
まずは、材料を切り出し、錫を塗る。
この時点では、普段作っている盆などの月色表面処理と同じ工程。

この後が重要となり、月色の場合はバーナーのみで銅板に錫を焼き付けますが、金古色の場合は炭の上で焼き付けます。
私の考えでは、この炭素が重要と考えます。
大きな銅器屋さんでは、コークス炉があり炭ではなくコークスで焼き付けます。
高温が必要とゆう面もありますが、刀鍛冶がワラ灰を使うと聞きますが、そのような原子同士が溶着する際に必要なものなのかもしれません。

こちらの四角い七輪は、能登切り出し七輪。
良き道具は、気持ちよく仕事をさせてくれます。
詳しくは、こちらの過去blogをご覧ください。
「奥能登旅 七輪編」
https://tsuiki-oohashi.com/2020/09/12/4135/

焼き付けた後の図。

この時点でも、大体の成功具合はわかりますが、やはり綺麗にしてみるまでは、確信をもてません。
酸化膜を落とし、綺麗に磨いたらすっきり。これで表札の製作に実製作にはいれます。
表札製作の部分につきましては、こちらのblogにてご覧ください。
https://tsuiki-oohashi.com/2019/01/06/2347/

今年は腰を落ち着けて、様々なことを試し、このような探求を進めてゆきます。

今日は、グレゴリオ暦では2月1日。
日本で多く使われていた太陰暦では1つ目の月である睦月新月の始まりの日です。とゆうことは、新年を迎える日でもあります。
太陰暦という位なので、月のリズムで定められた暦。
月の始まりの1日のことを「ついたち」と言いますが、その語源は「つきたち」→「月立ち」から転じたとか。このように日本語の中にも知らず知らずに親しまれている月のリズムは、身体のリズムとも合うような気がします。
2022年今年の目標のひとつは、しっかりと休むこと。
鎚起銅器職人大橋保隆では、新月と満月を定休日としています。
本日はお休みをいただき、生活を整える1日。

そんな始まるの日に、月の暦を教えてくれた冨田貴史さんのことをお伝えします。
冨田貴史さんと出会ったのは、2012年くらいだったでしょうか。
彼は暦の話や養生の話、手仕事の話など、環境や生き方にまつわるお話し会を各地で日本開催されてました。
環境活動をしていた私は、2006年からお名前を知っていましたが、お会いするのは初めて。しかし、その当時の風貌や雰囲気が似ていることや、手仕事と環境のこと、また保養の活動をしていることなどの共通点があり、親交を深めさせてもらっています。

彼は今、大阪市中津の商店街で、冨貴工房というアトリエを持ち、植物の染め物づくりやみそづくり、執筆活動を生業としています。
この太陰暦新年に合わせて発刊した冨貴書房「暦のススメ 月編」をみなさんにお伝えしたいと思います。詳しくは、冨田さんのHPをご覧ください。
月の意味、地球と太陽と月の関係性、それらが私たちに与える影響など、とてもわかりやすく書かれています。
是非、この本を手にとっていただき、ご自身の感じたことも書き込みながら、月のリズムや太陽のリズムを感じ、自分の身体と向き合いながら、生活を営んでいただけたらと思います。
私が鎚起銅器職人と共に進めている生活手仕事研究所では、こちらの本を販売しております。

冨田さんは、今まで4冊の本を出版しており、私がお勧めしている本「ウランとみそ汁」と共に、以下のいずれかもう1冊をお買い上げいただいた方には、送料を無料でお送りします。
「暦のススメ 月編+ウランとみそ汁」
「いのちとみそ+ウランとみそ汁」
など、mailにてお申し付けください。
今日からの新しい一年をお祝いしたキャンペーンとして、睦月の晦日である3月2日まで。

いのちとみそ 550円
ウランとみそ汁 550円
暦のススメ 太陽編 880円
暦のススメ 月編 880円

合わせて、もうひとつの手仕事、茜染の品も生活手仕事研究所では取り扱いしております。
大橋の感想としては、茜染アイマスクはスッキリと起きられますし、茜染の肌着をつけているとあたたかさを感じます。
こちらの染物もアイマスク、ソックス、風呂敷など、各種取り揃えておりますのでご連絡ください。

自然の中の一部である私たちの身体の声を聴きながら、仕事と生活のバランスをとり営みを続けてゆきたいと思いますので、この一年もどうぞよろしくお願い致します。

鎚起銅器の仕上げにおいて、漆をかけることがあります。
何故、漆をかけるのか。
色艶に深みを増し、堅牢な色となります。

仕上げの内容としては、普段と同じように、器が完成したら綺麗に磨き、硫化カリュウムの水溶液の中に漬け込むことによって黒くします。

その後、艶を出すように磨き込み。
緑青硫酸銅の水溶液を沸かし、2分ほど銅器を煮込みます。

よく乾かし、ゆるく熱しながら漆を伸ばし塗ってゆきます。
全体的に漆が行き渡ったら、ムラの無いように全て拭き取り、その後、釜を被せて最弱の弱火で1時間。

最後にイボタ蝋とゆう純粋な蝋を塗ることで、艶がまします。
この辺りは、普段の銅器と同じ最終工程。
漆を塗ることで、深い艶感がでてきます。
今回は水盆とゆうことで、水滴などの後が出にくいように、このように漆をかける作業を入れました。
その使い勝手によって、鎚起銅器製作工程も幅をもって進めてゆきますので、ご相談ください。

謹賀新年

2022.01.01

明けましておめでとうございます。
寅年の今年はどんな年になるだろうか?どんな年にしたいだろうか?と、毎年恒例のマインドマップを描きあげました。
マインドマップは、中心にテーマとなる模様を描き込み、その後にテーマに沿った言葉を連ねてゆくことで、今現在の頭の中を整理する取り組みと捉えます。
毎年、元旦の朝からこのマインドマップに取り組み、今自分にある言葉を取り出してみて、今年の方針を考えます。
画像上部は、昨年のマインドマップ。
画像上部は、今年のマインドマップ。
昨年は、生活から派生した言葉がが大きな部分を占めていましたが、今年は、仕事をから派生した言葉が半分以上を占めました。
この中で感じたことを足元に、今年も一歩一歩と積み上げてゆきます。

今年は、職人となり25年の節目を迎えます。
昨年は、湯沸や薬缶をたくさんつくらせていただき、学び深い歳となりました。
先日のblogで、来年の目標のひとつとして、口打ち出し湯沸の私なりの理想の形をつくってみようと掲げました。
それと共に、今年は鎚起銅器に関する本「俗物」の出版も予定されています。
その出版に伴い執筆者のみなさんとのトークイベントも企画してゆきたいと考えています。
また、その本やイベント詳細につきましては、HP上でお伝えしてゆきます。

節目の年と言いましても、職人として日々変わらずに、日常のこととしてお客様のご依頼に添えるように、技術を研鑽し生活を寄り添った器づくりを進めてゆきます。
2022年もどうぞよろしくお願い致します。

大橋保隆 拝

鏨の種類

2021.12.30

私は、形を製作する鎚起と共に、表面に模様を施す彫金技術も学ばせていただきました。鎚起技術は玉川堂で、彫金技術は燕市内の彫金師 長谷川清師匠のところで。
師匠とはありがたいもので、修行時代は厳しく指導いただきましたが、独立してからは事あるごとに心配してくださり、私が訪ねることを待ってくださっていて。伺えばお茶を出しいろんな話をしてくださいます。その話の中、ふとした時に技術的に重要なことも出てきます。

昨日も、師匠が先輩から最近いただいたとゆう鏨を見せてくださり。その先輩とは100歳前くらいとのことですが、スプーンやフォークに文字彫りをされていた彫金師の方。
鏨を研ぐことを、私たちは刃を付けるといいますが、師匠もそのもらった刃付けの微細さを初めて見て驚いたとのこと。
当然ながら私も初めて拝見し、その微細さを更に微細にしたと表現したいような刃付けに、この鏨の資料的価値を感じました。

22年前に初めて師匠に教えていただいた時のメモ紙を取り出し、来年は各種資料整理も課題のひとつだと実感します。
燕市には、大別して工藝彫金とスプーンやフォークなどの型彫り彫金と2つの流れがありますが、師匠はその両方の知見を持っていられる方。貴重な話を来年も焼き付けておきたいと思います。

口打ち出し湯沸といえば、鎚起銅器で代表する技術のひとつ。
腕自慢の職人が多かった時代に、鎚起銅器の技術の先でどんなことができるのか、競い合いの中から生まれた技術と考えます。
ですので、どこが難しいのか、どこが要点なのかを、先ずは知る必要がある。
玉川堂六代目の工場長を担っていた父は、私が玉川堂へ入社した際にも、口打ち出し湯沸をよく作っていました。
その父は、「口の形がわかるまでは、口打ち出しはつくったらだめだぞ。」と、私に言っていました。

その理由が、数日までにふっと理解できた気がします。
今年は、湯沸や薬缶をたくさん作らせていただきました。その湯沸は本体と口は別々につくり、口を後から嵌め込むものですが、このような湯沸と口打ち出し湯沸はフォルムとして近くなくてはならい。とゆうこと。
それは製作工程上、口打ち出し湯沸が一番難しく、多くの職人が失敗する所でもあります。それでも、普段作っている湯沸にフォルムを近づけることが、職人たちの腕の見せどころだったのでしょう。

今、父は既に引退していますが、4年前に父から口打ち出し湯沸を教わる機会がありました。
それ以来も、腕を見せるよりもお客様に喜んでもらえる形の湯沸をつくりたいと思い、普通の湯沸をつくっていましたが、来年は父の思っていた口打ち出し湯沸をつくってみます。

4年前に父に教わった際の口打ち出し湯沸は、まだ完成前。

この湯沸を見ても、父が伝えたかったこと、フォルムの中のどこを重視しなければならないのかは、今なら理解できます。
4年前にはわからなかったこと。来年こそは、また一枚の板から。

銅板も金属なので、叩けば伸びます。
こちらのカップは、材料と比べてみた図。
一枚の板から叩き上げる鎚起銅器では、金鎚で叩いてはバナーで焼き鈍し柔らかくする。を繰り返しますが、このカップで12回ほど繰り返しました。
本体部分の材料が伸びながら、口径は縮まり高さが出てきます。

芸術大学などでで説明されている鍛金の製作方法と違い、鎚起銅器では材料をできるだけ無駄なく使えるようにとゆうような製法になっていると聞きます。
詳細にお伝えすると、底を張り出してゆく製法なのです。

以前ざっと計算したときには、最初の一枚の板より1.3倍は表面積が増えていました。
器をつくりながらも材料の貴重な時代を感じます。

先日、北極冒険家の荻田泰永さんとお会いし、お話をお聞きする機会がありました。その中で感じたことを、今後の考察を深めるために、徒然なるままに書き留めておきます。

職人を続けている中で、質問される中で一番多いことは、「叩いている時に、どんなことを考えていますか?」なのですが何か期待を込めて仰っている雰囲気の時もありますし、もしかしたら「無心で」とゆう言葉を待っておられるような気もします。実際は、雑多なことを考えているわけですね。「今日のご飯は何にしようか。」「これからのイベントは、こんな形はどうだろうか?」「洗濯物を取り込まなければ。」「あの娘はどうしているだろうか。」などなど。荻田さんも、同じ質問をされるとのことで、答えも同じようなことでした。足はマシーンのように一歩一歩と進む、頭の中は今では思い出せないようなことばかり。と。
私の場合も、行為としての手は、勝手に動いてゆくのです。左手を回しながら右手は金鎚を下し続ける。これは、身体に染み付いているものですから、特に考えたり意識しなくても自然に行われることであります。その感覚を、極地を探検する方と共有できたことがなんとも職人としての自信となりました。
また、極地で危険を察知する感覚は、いつも立ち上がっているとゆうお話を聞いて。私も叩いている作業で違和感があれば、それはすぐに察知できるなと思ったのです。
行為として機械のように動く身体思考として目の前のこととは全く別のことを考えている頭感覚としていつも違和感を感じるために立ち上がっている五感と、今のところはしておきます。
そこで思い起こしたのが「作業中は、何か音楽など聞いておられるますか?」とゆうもうひとつの質問。私はいつも無音の中で作業しています。
今までは、自分のリズムを失いたくないからと答えていましたが、実は、それは五感を奪われたくないからなのだろうと思ったのです。
頭は何か考えている、身体は銅板を叩いている、感覚はいつも張り巡らされている。だから、音は聞けないし聞きたくないのだろうなと。
この辺り、一気にかきましたが、これから深く考えてみたいところです。極地で、その三点が屹立している人の話を実感として聞いただけに、納得のゆく話でした。そして、私も自分の先を見れるように環境を整えます。

錫を叩く

2021.12.15

Facebook機能が、3年前の日記を思い出させてくれ、ちょうど昨日upした錫を叩く作業だったので、こちらでもupさせてもらいます。
3年前、工房に通っていた者が叩いていた錫の塊。
やってもやらなくてもよい作業であるかもしれませんが、これを繰り返し繰り返した時間があることで、何かの際の自身になるように思います。

鉄鍋で錫を溶かす。

叩いて平らにする。

また、鉄鍋で溶かす。
の繰り返しで、金鎚の使い方とリストを鍛えます。

前回の鉄編に続き、文化といえば、やはり一番最初に思いついた前方後円墳 仁徳天皇陵。この古墳は5世紀につくられたらしいのですが、日本で一番大きいだけではなく、クフ王のピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓。その他、この辺りには、百舌鳥耳原中陵と言われる古墳群があります。

私は、堺市へ来ると必ずこの陵墓へと参拝に伺います。
紅葉も終わりどきでしたが、銀杏の黄色が空の青とのコントラストで、いっぱいに感じられる季節でした。

一旦、ホテルへ帰り、車から自転車に乗り換えて、都市探訪に。
ホテルの近くにあった公園は、ザビエル公園。社会科の教科書でもお馴染みのあのザビエル所縁の公園。トイランペットの練習の音が鳴り響いていました。
このような人物たちをあの当時に受け入れた事も、自由都市と言われた堺の気風を感じます。

この後、前回のblogにupした堺伝統産業会館へ。
是非、そちらの包丁文化もblogにてご覧ください。
施設内には、おちゃめな堺市あるあるも展示されておりました。

少し、小腹も空いたな。
とゆうことで、今回堺市での銅鍋づくり体験を主催してくださった、雑穀専門家の梶川愛さんおすすめの美味しいもの探訪へ。

先ずは、くるみ餅で有名なかん袋さんへ。
なんとも濃厚なたれの中にもっちりお餅が。そして、梶川さんがおすすめしてくれた氷が、その濃厚さと相俟って、甘味好きにはたまらない。
もう1杯食べようかと思いつつ、近くのお蕎麦屋さんへ。

「工場の中にあるので、わかりにくいですが、いい雰囲気なんですよー。」とは、梶川さん。
確かに、このプラントの中にお蕎麦屋さんがあるとは、一見ではわかりません。

蒸し蕎麦のちく満さん。

確かに、店舗に入る前には、蕎麦粉の機械が稼働中。
しかし、お店に入ってみると古き良さを感じられる雰囲気が漂っています。

注文し届いた一式。
卵を割って、出汁をかけてその麺汁に付けて、蒸し立てをいただきます。

初めての食感。福岡でのうどんもそうですが、このふやかし加減でいただく文化が西日本にはあるんですね。
この場所で、この雰囲気でしか味わえないひととき。
蕎麦湯の入れ物も、なんとも味わいのあるアルミ製。
おしゃれな年配さんが、「ビールと先付けと蕎麦ひとつ。」と仰っていて、私も次はそのパターンでゆこうと思った次第です。

まだまだ続く、美味しいもの探訪は、ゲコ亭さんへ。

このお店は、またまた梶川さんおすすめで、前回も堺へきた時に伺いました。
オープンフロアの食堂で、自分の好きなものを取る方式。このお店には米炊き千人がいるとのことで、銀シャリを大オススメしており、お替りも無料でした。
因みに、近くにはテイクアウト専門のゲコ亭さんもありますので、お間違いのないように。
今回は、お弁当をお願いして、ヨットハーバーを望む公園へ。
ゲコ亭さんのお弁当は、てんこ盛りで700円です。

対面には、昨日銅鍋づくり体験をさせてもらった会場の「風ととき」さんもあります。潮風も心地よく、初冬のひだまりも心地よく。

ご飯を食べ終わって、800m程ゆくと、日本最古の木造灯台のひとつ旧堺燈台もあり。
海外貿易港として、戦国時代に栄えた港町の流れから、明治に建てられた東大だとか。堺商人の意気込みとこの小さな灯台が見守ってきた多くの船の流れを、今でもひっそりと立ち続けるこの灯台に感じました。

最後に訪れたのは、茶道の大家 千利休の邸跡。
こには、井戸が残されており、今でもポンプで水を汲み上げていました。
利休といえば、秀吉の怒りを受けて切腹に追い込まれましたが、そのきっかけとなった利休建て替えの大徳寺の門。
その大徳寺の門が、また建て替えの際に下賜されたものを使って据えられた屋根がこちら。大徳寺の門として建てられた際の手斧や細工の跡が残っています。

時の権力者にも、自分の真を貫いた利休。
その心持ちにあやかれるようにと願いつつ、堺の旅も終わり。
自由都市として、力を保持し続けた商人たちの心意気、今でも残るその文化の一旦を感じました。
穏やかな空気に包まれて、大阪へも10分ほどで行ける良い街。
また、来年も訪れてみたいと思います。