「石瀬の家」周辺情報その1
旧暦新月を迎え、岩室の家(仮)も土地の名前をもらい、新しく「石瀬の家」と命名されました。
石瀬の地は、北国街道沿いとゆうこともあり、由緒ある風情を残しています。
その石瀬の近辺のおすすめの場所を、私なりにお伝えし続けたいと考えています。
第1番目は、私が時々参拝に訪れる弥彦神社を。
越後一宮とも言われる弥彦神社。私は旅の安全願に、日々の感謝をお伝えにと伺います。清々とした空気を持つ弥彦の地。この地域には新しくカフェも増えたりとゆっくりと過ごすには良い地域となっています。
私も、時々、リフレッシュするために数日温泉宿に籠り、頭の中を整理することもあります。
旧暦も新年とゆうことで、仲間と訪れたのは、石瀬から5分の岩室温泉街にある、秀石庵さんへ。
新年に相応しい料理の数々は、京都で修行されてきたご兄弟の腕前。
時間をかけてゆっくりと、美味しいお酒や楽しい会話と共に過ごす時間はエネルギーを与えてくれます。
すっぽんのスープも、上品に。
最後のそばがきまで、堪能させてもらいました。
美しいお料理は、ものづくりに欠かせない要素と私は感じます。今年も、さまざまな場所で勉強させてもらいたいと思います。
「石瀬の家」周辺情報第2弾も、またupしますので、御来家の際には、周辺も合わせて楽しんでいただけたら幸いです。
突発!銅器づくり体験
先年、岩室に購入した「石瀬の家」を活用するべく、今年は銅器づくり体験を突発的に開催します。
初回は、立春の翌日でもある2月5日日曜の10時から16時まで開催。
端材を活用する「豆皿づくり体験」を主軸として、小皿づくり、銅鍋づくり、真鍮のスプーンづくりなどなど、各種銅器づくり体験を開催します。
もし、「こんな銅器をつくってみたい!」とゆうご要望があれば、応えられる範囲で製作いただけます。
本格的な銅器づくりは、春の道場開設をお待ちください。
端材の豆皿づくり 4,000円 60分〜90分
小皿づくり 4,000円 60分〜90分
小さい銅鍋づくり 10,000円 90分〜150分
大きな銅鍋づくり 14,000円 180分〜240分
銅や真鍮の端材計り売り
and more
端材の豆皿は、このように円を切り出した端っこを活用しての材料となります。
リサイクルに回すのもよいのですが、このようにカスケード利用をできればと考案しました。
ご参加ご希望の方は、お問い合わせフォームからご連絡ください。住所などお伝えします。
心よりお待ちしております。
ヘラ絞り技術
昨年発売した「俗物」をご覧いただき、69ページに現在の鎚起銅器の見取り図を、ツバメコーヒー田中辰幸さんがまとめてくれたものに関心を持ち、ご連絡をいただく機会があります。
ヘラ絞りとは、もっと具体的にどんなものか?と。
言葉で説明するのは難しいところがあり、動画を探していたのですが、金工の道具を買う際にお世話になっている、東京のシーフォースさんが、動画で上手にまとめてくれていたので、そちらをご覧いただくとわかりやすいかと思います。
荒川区の作家さんが、作業を細かく説明してくれています。
私は、一枚からの打ち上げを作業としていますが、同じものを同じように製作できるヘラ絞り技術は、鎚起銅器の歴史の中で重要な技術です。
燕市でも、惚れ惚れとする作業の職人さんが居られました。そして、どんな風に後世に受け継がれてゆくのか、とても関心深いものです。
鎚起銅器の本「俗物」は、引き続き発売中しております。
大河津分水資料館 見学
工房の在る燕市は、私が生まれた頃には、燕市、吉田町、分水町と3つの市町に分かれていました。今は、所謂平成の大合併で、1つの市になっています。
やはり、生まれ育った時の感覚は忘れがたく、燕市には工場としての街の雰囲気。吉田町にはそのベッドタウンとしての雰囲気。分水には、国上山があり良寛さんのイメージがったりと、それぞれの特色を打ち出していたものです。
そんな中、岩室の家(仮)の庭いじりを一緒にしているアトリエnicoの羽ヶ崎章さんからPatagoniaの記事を教えてもらい、旧分水町にある大河津分水に関心を持ちました。
大河津分水は、長野の千曲川からの流れを受けた、信濃川が越後平野に入る前に、分水路をつくり海へ流す要所です。
私の生業である鎚起銅器も、以前は農閑期の仕事から発展したと言われています。越後平野は水害に悩まされ、たくさんの経験を重ねてきました。その水害を克服するためにこの大河津分水はつくられたました。
その事業の経緯を学ぶため、川をこよなく愛する知人を訪ねて、大河津分水資料館へ。
曇天のこの空が、新潟の冬らしく。背筋が伸びます。
迎えてくれたのは、Love River Net 代表でもある 樋口勲さん。
先ずは、大河津分水資料館へ。
初めて訪れましたが、資料が充実し、新潟の歴史を知るためには必須の場所と感じました。そして、今まで先輩たちが語ってくれていた、鎧潟など、この地域の文化を感じられるお話が、ここで繋がりました。
新潟は、砂丘列がいくつもあり、江戸時代の海辺と、今の海辺では位置も変化しています。この砂丘列や山々に囲まれているために、越後平野はお盆状になり、水が貯まりやすい地形となっているようです。
そのため、今では隧道が海辺に向けて18本掘られており、古人の苦労と願いを感じさせます。
今では、米所と言われる新潟も、当時は水量が多く、腰まで浸かりながらの田んぼ作業だったとか。収量の少なさを大きい平野でカバーしていた。その水害が改善されたからこその、今の米所新潟なのかもしれません。
大河津分水の歴史を知ることは、越後平野の歴史を知ることに通ずる。
大河津分水ができた切っ掛けは歴史的な背景が濃厚だとゆう話に納得しつつ、多くの地元の方々の請願があったことも大きな要因だと感じます。請願活動のため財産をなくし、この地を離れざるをえなかった方々もおられるとか。
横田切れとゆう大きな水害が明治29年7月にあり、その後も毎年のように同じ場所が水害に合い水が引かないとゆう憂き目。
それを改善するために、地元の方々の願いと、政府の思惑が一致し大河津分水の工事も始まったようです。
大河津分水の工事は何期かに分かれ、このお話しをお聞きする中で、技術力と歴史の相関性を感じさせてます。もし、第1期目の手作業の工事が中止され、今現在、大河津分水工事と言われている第2期の工事が再開するまでに、日本が世界と渡り合ってゆく歴史背景的に技術力の格段の進歩がありました。
ネット時代と言われる今も、その時代時代の技術力と世の動きの連動の見方がとても重要だと思います。
この工事で登場する3人の帝国大学を主席で卒業した男たち。私は、樋口さんのお話を聞いて、この3人のお話しにとても感動しました。
一般的に知られていたり、一般的に流通している話と共に、地元で話継がれていることに、大きな魅力を感じます。
この大河津分水の設計者として赴任した、岡部三郎さんは自在堰とゆう新しい堰の形に取り組みました。ネイティブアメリカンの熊罠を参考にし、水圧で堰が動くとゆう仕組みを採用し着工されました。
しかし、この堰が完成された頃に、岡部さんは他のところに赴任することになり、「この堰の前後には石を敷き詰めなければ、川底が削れてしまう。」とゆう言葉を残しながら去っていったとのこと。
しかし、その後の財政状況などにより、その言葉通りにはならずに、結果、この自在堰は崩れてしまう形になってしまいました。
その後、大河津分水工事の後を受けたのが、青山士さんと宮本武之輔さん。
青山さんは先の記事にもでてくるように、パナマ運河の建設に深く関わった方。それも国からの補助を受けて外国に赴いたわけではなく、内村鑑三さんのお話を聞き、自分の意志で渡ったとのことです。
地元に伝わる話を樋口さんが伝えてくれたのですが、青山さんは堅物。宮本さんは遊びを知っている人で、この二人のバランスで、地元との共同作業である分水工事も進んだとのことです。
その宮本さんは、岡部さんとの親友とのことで。親友の汚名を晴らす為に、きっと相当な覚悟を持ってこの工事に携わったのではないかと、私は胸が熱くなりました。
青山さんの理論と実践を地元の方々に理解してもらうため、宮本さんが地元説明のために作った模型が今でも残っています。
この模型を持ちながら、前回の自在堰で良い思いをしていない地元の人と、どんな話で理解をしてもらったのか。宮本さんは、地元の方からの酒宴の誘いを断らなかったと日記に残っているようです。
大河津分水資料館の4階には展望室があり、分水路がぐるりと見渡せます。
この工事に幾万人の人が関わったのか。
そして、実際の堰たちを見に外へ。
もう使われなくなったとはいえ、やはりこの歴史を感じさせるものが遺っていると、様々に想像は膨らみます。
今回、樋口さんに教えてもらったことが、ここに実際にあり、歴史の変転の上で想いが形になったり、ならなかったり。
そんな中でも諦めずに形にしてきてくれた先人を感じる時間となりました。
最後に、青山士さんの言葉が刻まれた碑。
この碑は、自在堰を移築してつくられたものとか。そこにもそれぞれの人の想いが形になっていることを感じます。
「万象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ」
パナマ運河工事を経験し、この地に取り入れてくれた青山さんの想い。
世界共通語の試みであるエスペラント語で訳されていることで、青山さんの想いも一層深く汲み取れるのではないでしょうか。
このような貴重な施設が、自分の街に在ることで、先人の経験や想いを伝えてもらえる機会があることの重要性を感じました。また、ここには登場していない幾人もの方々の想いが、大河津分水に集っているのでしょう。
これから、この分水路がどんな形で未来に託されてゆくのか、今この新潟に住む者としてもしっかりと見据えてゆきます。
大河津分水資料館。
燕三条へ来られる機会がありましたら、是非、足を運んでいただけたら幸いです。
岩室の家(仮)庭いじり 第2章
雪が降り始めた新潟平野。
晴れ間を見つけて岩室の家(仮)の庭いじりの第2回目を開催しました。
といっても、いつものおっちゃん2人だのですが、今回も実践編の中で、身体を動かし、実際に土や草木に触れてみることで感じいることができました。
まずは、前回施したものがどんな風になっているのか、ちょうど雪が降り、溶けて水になってくれたので、水の流れがよくわかります。
水路が見つかり、以前、池と思しき場所に水が溜まっていたり、水の溜まりやすい場所を発見できました。
この石も、水が落ちる場所に置くだけで、地面が守られる。前に住んでいた方の優しさを感じる一場面です。
ぐるりと家の周辺を周り、今日の施工はこの場所。
前庭の駐車場へと続く水路の出口に水が溜まっていたので、この水路を深堀して空気と水の通り道をつくってあげました。
まずは、一番出口を掘り、中間地点にひとつ、上流にもうひとつと3つの穴を。
二つ目の穴を開けた際に、地中に溜まっている水が出てくる場面が上手に撮れたので、こちらは動画で。
地表にも水はありますが、それが流れ込んでいるのではなく。地中の穴の側面から水が湧き出しています。これだけ肌理細やかな地中があるのだなと、水の湧き出す姿見て感じました。
穴を開けた場所には、剪定した枝を差し込み、穴が塞がらないようにしておきます。
この枝の差し込みも面白く。その人なりの楽しみが形になって表れます。ここにはデザイン性が生きてくるんですねとおっちゃん二人で話しながら、楽しく作業は進みます。
三つ目の穴も掘り、溝で穴と穴を繋げ、また枝の差し込みを。
本日の施工は、ここまで。
これから雪が多くなるシーズン。
それまでにここまでできれば、来年の春がどんな風になっているか楽しみです。
即席には変わらない自然の摂理。
じっくりと向き合いながら、岩室の家(仮)道中環境の改善を進めてゆきます。
このように、家の外からの古民家再生をできるのも、アトリエnico 建築士の羽ヶ崎章さんが、全体を見通す目を持ってくれているからこそ。
ありがたいことです。
来春からも、様々なDIYにチャレンジしてみますので、何かのイベントの際には、岩室の家(仮)に足を運んでいただけたら幸いです。
庭木の剪定をしていたら出てきた蛙の置物。
この庭の守護神として、見守ってもらいたいと思います。
岩室の家(仮) 庭いじり 第一章
先日、新潟県西蒲区の旧岩室村に一軒家を購入しました。岩室温泉や弥彦温泉に囲まれて、とても穏やかな空気が流れる場所。
この場所を活かして、コミュニティづくりをしたいとゆうことで、222坪の土地に、10部屋ある家、この場所を活かしてくれるための評議員のみなさんのアイディアと信頼をもとに、じっくりと場を育んでゆきます。
その最初の取り組みとして、評議員のひとりでもあり、私の工房の改装をいつも担ってくれる、新潟市松浜のアトリエnico 羽ヶ崎章さんが提案してくれ、大きな庭に雪が降る前に整備をしようと、先日集いました。
羽ヶ崎さんは、新潟市から松林の松食い対策を依頼された高田宏臣さんの土中環境を整える考え方に共感してお手伝いをされていたとのこと。
そこで学んだ知恵の一端を、この庭でも伝えてもらえれる貴重な機会。
中古物件の大きな庭だけに、手が行き届いていない部分も多くあります。
まずは、土中環境を整える考え方をお聞きしながら、庭の探索に。
庭を探索してみると、土地がとても固い。地表を守るものがなく丸見えになってしまい、雨に打たれ、陽に照らされて固くなってしまったようです。また、水周りがよくないために、待つなどにもカビが発生していたり。地面に落ちるべき枯葉が、密集する木々の枝にぶら下がっていたり、
土中環境を考えるときには、観察力と想像力が必要だと感じました。
この辺りは、鎚起銅器製作も同じで、目の前で起こっていることから、その原因を考えてゆく。そして、その原因を改善することで、目の前の事象も変わってゆく。
羽ヶ崎さんからも、北海道 べてるの家の当事者研究やJALを復活させた稲盛和夫さんのお話を引きながら、基本となる考え方を学ばせていただきました。
そして、高田さんの本を読みながら、実地へ。
この庭はいろいろと試したい場所。今回は、雪が降る前に土に水と空気が通るような穴を開けたり、水の通り道をつくる作業。
まずは、木々が密集した場所の整備から。
木に引っかかっている枝や落ち葉を落としたり、鋏やノコギリで剪定を行いながら、木々を観察し。木々がいろんな形で共生しているとゆうことを羽ヶ崎さんから教えてもらいました。
次は、生垣整備。
道にはみ出している枝や高さを整えて。
そして、今回の目玉である、土中に空気と水の流れを作る作業。
長いドライバーを土に突き刺し、その穴の中に木の枝を入れたり。
大きめの穴を掘り、先程の作業で切り落とした葉っぱをその穴の入れ込むことで、雨が降っても穴が塞がらないとのこと。そして、その大きな穴たちを繋ぎ、落ち葉を敷き詰め、ここにも枯葉を敷き詰めることで、水の流れができてゆくようです。
今回は、以前は池だったところを埋めたのかもしれないと思われるブロックや、木々の密集しているブロックを中心に、空気や水の流れるような場づくりをしましたが、これからこのブロックから広げてゆきます。
大地から見えること、自然の中に見えること、人間関係に見えること、そんな関係性を庭いじりをしながら感じる時間となりました。
この庭が、どんな風に育まれてゆくのか、また、ご報告したいと思います。
今回は、以前作ったロケットストーブが、とても効率良く燃焼するものと感じました。また、ロケットストーブづくり体験会なども、この場で企画したいと思います。
人間としての幅を広げてくれるようなこの場を、大切に育んでゆきたいと思います。
株式会社 カルチベイト 創立
昨日、2022年11月20日の良き日に。
株式会社カルチベイトが創立されました。
代表取締役社長として、大橋保隆
取締役として、ツムジグラフィカ 高橋徹さん
取締役として、ツバメコーヒー 田中辰幸さん
監査役として、宮崎清也さんをお迎えして。
職人として25年、独立して15年。
この節目の年に、また新たな形に進化して、仕事に邁進致します。
定款としては、以下の通りとなります。
自分一人では見れない世界を、取締役のみなさんと一歩一歩を歩み進めてゆきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
株式会社 カルチベイト
定款
1 鎚起銅器の製造販売
2 金属加工品の製造販売
3 出版業、図書及び定期刊行物の企画、制作、販売並びにその代理事業
4 鎚起銅器道場の企画、運営、管理
5 料理教室の企画、運営、管理
6 手仕事品(製作者の個性を活かした衣料品、文房具、装飾品、日用雑貨等)の販売
7 住宅宿泊事業法に基づく住宅宿泊事業(民泊)
8 鎚起銅器製造技術の研修及びその開発の実施
9 企業の経営管理及び販売活動に関する人材育成のための教育及び養成並びにコンサルティング
10 飲食店、喫茶店、ビジネススクール、教育施設及び、文化教室の軽々
11 映画、音楽、演劇、美術等の文化事業、コンサート、その他各種イベントの企画、制作、運営、興行、販売
12 全各号に附帯する一切の事業