日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
日々思うことなどを綴っています

純銅とゆう言葉を最近聞くことが多く。
私なりに感じていることをまとめておきます。

純とゆう字がつくと洗練された様に感じますが、基本的には銅と呼ばれるものは99.5パーセント以上の純度を持った素材です。
銅は他の素材が混ざることで、黄銅や青銅、白銅など、呼び名が変わります。

金や銀は、純がつくことでその純度が明確になり。混ざり物がでることで、18K、10K、950銀、925銀、スターリングシルバーと呼ばれます。
ですので、金や銀で使われる純とゆう冠と、銅につく場合の純は違うとゆう認識です。

私も日々の政策で、銅以外にも非鉄金属である、金や銀、真鍮などをつかうこともあります。それぞれの特性はありますが、原理は一緒で熱をかけ柔らかくし、叩くことにより成形してゆきます。
現商品でも鍋や片手パンなどは、本体は銅で取っ手を真鍮にしていますが、これも真鍮は熱伝導率が低いので銅よりは熱くなりにくいとゆうことで使用しています。このように様々な金属の組み合わせを今後も試してゆき、商品に生かしてゆきます。

金 24K(純金)、18K、14K、10K
銀 1000銀(純銀)、950銀、925銀、スターリングシルバー

純銅
黄銅(真鍮) 銅と亜鉛の合金 5円玉硬貨
青銅 銅と錫の合金 10円硬貨
白銅 銅とニッケルの合金 100円硬貨、50円硬貨
洋白 銅と亜鉛とニッケルの合金 500円硬貨

「伝統工芸」とゆう言葉を聞いて、どんなものを想像されるでしょうか?
この言葉には多義的な意味を含みながら、使われることが多いのですが、新潟県燕市のいち職人の視点からの「伝統工芸」を書き留めておきます。

まず、私の生業である鎚起銅器、これも伝統工芸と呼ばれることがありますし、200年前から燕に伝わる技術で確かに伝統工芸です。ただ少し視点を変えて国からの指定とゆう点で見ると、燕鎚起銅器として伝統的工芸品とゆう呼び方になります。
以下、伝統的工芸品産業振興協会HPより
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経済産業大臣指定 伝統的工芸品とは
●生活に豊かさと潤いを与える工芸品
●機械により大量生産されるものではなく、製品の持ち味に大きな影響を与えるような部分が職人の手づくりにより作られています。
●100年以上前から今日まで続いている伝統的な技術や技法で作られたものです。
●品質の維持や持ち味を出すために、主要な部分が100年以上前から今日まで伝統的に使用されてきた材料でできています。
●一定の地域において、ある程度の規模を形成してつくられてきたものです。
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伝統的工芸品は全国に236品目あり、新潟県には仏壇、漆器、刃物、織物なの16品目あり、東京、京都に次ぐ3番目。伝統定期工芸品として経済産業省から認定されるには、産地として地域産業としてある程度の規模が必要なようです。

このようなシールをご覧になったことがある方もおられると思いますが、この伝産シールが貼ってあることで、産地として伝統的工芸品として認めるとゆう証となります。ただ、このシールにもコストがかかるので、実際には伝統的工芸品としての技術でつくられても、シールを張らない場合もあります。

また、工芸の世界では、「伝統工芸」と言いますと、公益社団法人 日本工芸会とゆう会の動きを指す場合が多いです。日本工芸会は「用と美」を掲げ、伝統工芸展を開催しているため、私としてはこの会のことを伝統工芸と表現することが通常となっています。
この日本工芸会を登り詰めると、「重要無形文化財保持者」所謂、人間国宝に選定される場合があります。人間国宝は1つの技術に1名と決まっているため、実力がありつつ、時の流れを得た人が成れるようです。
鎚起銅器の世界でも、異なる金属を何重にも重ね、打ち延べて器をつくる鍛金に属する「木目金」とゆう技術で、玉川宣夫さんが人間国宝に文化庁の認定を受けています。

また、人間国宝と対をなすものが、文化勲章。
この文化勲章は、工芸の世界では日展などのオブジェなどの製作する作家さんが登り詰めると、こちらも文化庁から認定を受けます。
内実となりますが、人間国宝になると助成金として年間200万円。文化勲章をもらうと終身年金として年間350万円が支給されるとのこと。
この辺りの際も興味深いです。

無形文化財とゆう言葉がでてきたので付記しておくと、燕鎚起銅器は、記録作成等の処置を講ずべき無形文化財にも指定されています。これは、「衰亡の虞(おそれ)」のある伝統的な技術が指定されることになっており、1980年に指定されました。
衰亡の虞と言われるくらいですから、当時は厳しい環境だったのだと思いますが、それからの努力の末、今では伝統的工芸品の産地としては珍しく、若手職人も多く育ち、老舗の玉川堂はGINZA SIXに店を持つほどとなりました。

現在も日本の様々な場所で、様々な形で職人さん達が日々精進している中、伝統工芸とゆう技術が必要とされるようなものとなることを願いつつ、私自身も必要とされる鎚起銅器の道を目指し、一歩一歩と進んでゆきます。

【展示会のお知らせ】
明後日7月20日より
福岡での「グラノーラのある食卓展」に、オーバルの盆や丸盆にて参加させていただきます。
佐賀の李荘窯 寺内信二さんよりお声がけいただき、福岡のみなさんに触れていただく機会をいただきました。
生活に身近な器として、実感していただけたら幸いです。
開催期間 20日火曜〜31日土曜(26日休店)
時間 11時から18時
会場 台所 ようは
主催 Yuko’s Dish

この3日土曜より、新潟市古町通2丁目のヒメミズキさんにてのグループ転移参加させていただきます。
この度は、水差しに彫金を施すことや、オーバルな盆、鍋として使えるワインクーラー。また、キャンプや山登りに持っていったいただけたらと思いながらつくった片手パンなど。
この夏を楽しんでいただけたら幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

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小暑のうつわ 
2020.7.3(土)〜7.11(日)
Open 11:00-18:00 
6日(火)休み
7/3(土)の13時までは
ご予約の方のみ
それ以降はご予約不要です。
オンラインショップは
7/6(火)
18:00〜

参加作家
・伊藤亜木 (ガラス)
・岩田智子 (陶器)
・大橋保隆 (鎚起銅器)
・竹本ゆき子(陶器)
・角掛政志 (陶器)

昨日、6月21日月曜の新潟日報の夕刊 おとなプラスに、銅鍋づくり体験の記事を掲載していただきました。
記者さんとカメラマンさんともに、1日の銅鍋づくりを体験していただき、銅鍋づくりに参加していただいた動機から、鎚起銅器のこと、当日の体験の流れ。
そして、その後の料理のことは、シェフ自らが銅鍋を製作し日々使われている、新潟市東中通1番町のティオペペさんに取材に行ってくださったりと、3面にわたり幅広くお伝えしてくださっています。
取材をいただいた伊藤亜弥さんの「作ることと使うこと。二つを自分の手でつなぐと、暮らしの実感が濃くなる。」とゆう表現が心に沁み入りました。
カメラマンの内藤雅子さんも銅鍋を叩きながらも、参加者さんの真剣な姿を撮影していただき記念に残る体験会となりました。

また、昨日は夏至。
それに合わせて、いつもデザインを担当してくれているツムジグラフィカ高橋トオルさんが、銅鍋づくり体験の雰囲気を感じてもらえる3分ほどの動画を編集してくれました。
また、日本各地に伺い鎚起銅器の魅力を多くの方に感じてもらえるように、今できることで準備を整えておきます。

人間らしい生活の道具としてご自身で生み出す銅鍋。
主催していただく際の詳しくは、以下blogをご覧いただけたら、幸いです。
日本各地へ伺いますので、ご縁があることを心よりお待ちしております。
銅鍋づくり体験の模様
https://tsuiki-oohashi.com/2019/07/11/3122/
銅鍋づくり体験について
https://tsuiki-oohashi.com/2019/01/13/2361/

ここ最近、ネットの古道具屋さんなどで手に入れた銅器達。
ひとつは古巣の玉川堂の4代目以前のものでしょうか。
彫金が冴え渡り、また水差し本体の製作も素晴らしいもの。

もうひとつは、どこのものかわかりませんが、小ぶりの形の良い、戦後どれくらいに作られた湯沸でしょうか。
本体のつくりは材料の少ない時代につくられたと感じるものでありますが、模様を彫り込む彫金の技が、流石に卓越しています。

最後の一つは、燕市内の銅器屋さんの作。
今は廃業されている近くの銅器屋さんもので、今主流となっているへら絞りとゆう重要で高度な技術が導入されたあとに、より良き形を追求したであろう痕跡が見て取れる湯沸。

よいものを沢山観ると決めて、職人に成り立ての頃は東京上野の国立博物館に足繁く通っていましたが、今は過去につくられた職人さんの技を手に取りながら拝見することができるようになりました。
それぞれの時代での職人のみなさんが込めた技術は、必ず語りかけてくれます。
どこをどう考え、どう製作したのか。
いつかそれを文章としても纏めたいと考えています。
その為にも、まだまだ実際に自分でも手を動かし経験を重ねるときとして、励みます。

一枚の板から打ち、立ち上げる鎚起銅器の特徴の一つに、底を張り出す作業があります。大学などで教える鍛金の授業ではこの作業はなく、この地方独特のもののようです。
この底を張り出す作業は、作業を速めやすい、材料を節約しやすいとゆうような特徴があるかと考えます。

その分、形を捉え難いとゆう面もあるようです。
作業内容としては、こちらの動画をご覧ください。

今回は、湯沸の製作の一部です。

燕市の建築士 金子勉さんにお声がけいただき、ご自宅の洗面器のご相談をいただいたのが、昨年の10月。建築士さんのご自宅とゆうことで、様々な試みを取り入れられている中のひとつとして、地元の鎚起銅器を選んでいただきました。
今回は、設計図を拝見しながら、大体の洗面器の大きさや高さ以外は全てお任せのご依頼。普段から私の仕事を知っていただいているだけに、私も安心して引き受けさせていただきました。
ご依頼をいただいてから、頭の中で様々に想像を膨らませながら、年を跨ぎ、この春に現場を拝見。想像は膨らませていたものの、据え付ける場所を実感したお陰で、一枚板の上にぴったりとくる形が思い浮かびました。

まずは、材料の発注。
今回は、一枚板の迫力に応えられるように、普段よりも厚い2ミリの材料での製作。普段は0.8ミリから1.2ミリの材料厚なので、重量も倍近い材料となりました。365ミリ×600ミリで約4キロの重み。四角いまま製作を始めます。

鎚起銅器とゆうと、一枚の板を打ち縮めて形をつくりますが、今回は厚みもある材料なので、大きな金鎚で底面を打ち伸ばしながら、大きさを出してゆきます。
普段は使わない、このような大きな金鎚で。

そして、四隅は、いつものように打ち縮めて、絞って高さを出してゆきます。

四隅の角を切り落とし、いつものように叩いて固くなったら、焼き鈍しをして柔らかくするを繰り返す。高さが徐々に出てきます。

形が完成したら、排水口部分の打ち出し。
これだけの大きさの銅器だけに、バランスを取るのが難しく、身体全体で支えながら製作は進みます。

もう一度、現場に伺い、蛇口や板とのバランスを取り、穴の位置決め。こちらも、徐々に打ち出し。

ステンレス製の排水溝と擦り合わせをしながら、穴開け。
その後、最後の微調整を行い、排水溝は完成です。

最後に、洗面器の淵に鑢をかけ、四角板から製作した縁の変化を残しながら、丸みも出しながら、きりりと引き締めて。
銅器そのものの素材を活かす色に仕上げをしたら完成。

想像はきっちりとしていても、やはり、現場に収めることで、ほっとするもの。
鎚起銅器の技術を織り込む四角い初めての洗面器が仕上がりました。
お題である一枚板に、銅器の厚みが応えてくれました。実際に観ていただくと画像では伝わらない迫力が感じていただけると思います。

全てお任せとゆう依頼で、このような機会を与えてくださった建築士金子さんの新しいお宅には、様々なアイディアが詰め込まれており、完成が私も楽しみです。
是非、金子さんのHPをチェックいただき、その姿をごらんいただけたら幸いです。

伊勢神宮を参拝した際に、木材と銅とのカスケード利用の共通性を考えました。
先日より、藤原辰史さんの分解の哲学を読んでいて、一緒に旅をしていた影響もあるかと思います。
20年に1回、遷宮で隣に建て替えられる社殿。沢山の建築に関する技術やそれにまつわる技術を次世代に伝えるためにも、大切な儀式。
そして、建て替えの際に今まで使われていた木材は、全国の神社に送られると聞きます。
このように、素材を活かしきる考えが、日本にはありました。

今、私が関わる銅器の世界も、銅はリサイクルし易い材料と言われますが、リサイクルの前に、できるだけカスケード利用できるように考えています。
材料屋さんから買ってきた、四角い材料から丸を切り出します。
その端材を使って、豆皿をつくります
また、製作工程でも切りくずなどがでますが、それはリサイクルに回し、それらは高岡に運ばれて鋳物として器になると聞きます。

以前の日本では、屑屋さんと呼ばれ、不要物として出されたものを、また使えるようにして、生計を立てているみなさんが居られました。そのお陰で、ゴミも減り、循環がゆっくりとした世界が広がっていたのでしょう。

これを機会に、もう一度、他にも有効に使える方法を考え、実践できるようにしたいと考えます。

ミルクパンや片口など、鎚起銅器で製作する注器は、金属特有の材料の薄さがあるため、水切れがよいと言われています。

その製作工程を、今回はお伝えします。
まずは、口を打ち出す目安を鉛筆で描きます。

その後、6種類の金鎚と木槌を使い、打ち出してゆきます。

とてもシンプルな作業ですが、口のくびれ角度や大きさなども、それぞれの職人の個性が出る作業です。