日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
日々思うことなどを綴っています

カテゴリー〈 旅 〉

Roots猪苗代

2020.06.20

私の製作している鎚起銅器を応援してくださっている、福島県猪苗代町の工務店Roots様が拠点を移動し、廃校になった学校を利用し店舗を新しくされるとゆうことで、伺ってきました。

場所は、猪苗代湖畔49号線から少し入ったところにある小学校。
中には、Rootsさんの提案する暮らしを実感できるお店が1F、2Fと並んでいます。
1階には、地元燕三条を代表するsnowpeakさんのショップやカフェ。
2階には、絨毯をはじめとする暮らしの中で育める道具たちの販売もされています。私の鎚起銅器もオーダーメイドをしていただけるような展示をしていただく予定となっております。

世の中の情勢により、スモールオープンとして、この6月26日金曜日から、一般の方にもご覧いただけるとのこと。
ご注意いただく店などもありますが、是非、お近くに来られた際にはお立ち寄りいただけ、実感していただけたら幸いです。

このように、公の場を地元の工務店さんが活用し、素敵な空間を築いてゆく取り組みは、とても大切なことと感じます。
暮らしの学校として、過去から現在、そしてこれからどう住まいと付き合ってゆきたいのかを考えるひととき。
私も協力させていただくことで、人生の中で大切にすること感じていただけたら幸いに思います。

また、OPEN後の模様もupさせていただきたいと思いますし、これからここでのイベントも開催予定ですので、その際もご覧いただけたら幸いです。

前回、募集をしたのが2019年8月30日。
その際には、お手伝いの方もいいかな、と思っていたのですが、やっぱり違うな、と思い返し改めての職人募集。
以下、前回のものを踏まえつつ、書き直してみましたので、ご縁のある方がおられましたら。
一緒に生命を育む仕事をしてもらえたらと思います。

この5年程で大きく変ってことと言えば、お陰様でご注文を多くいただけるようになりました。このよう個人で職人を続けてゆけるとゆうことは、多くのご縁に恵まれてとても有り難いことだと、心から感じています。
また、仕事が多くなったことに伴い、線を引く、銅板を切る、鑢をかけるなど、下仕事が多くなりました。
下仕事が多くなったとゆうことは、これから鎚起銅器に触れ始める人にも仕事を依頼し収入の見込みができるとゆうこと。と共に、銅板に触れる経験を上げる好機が増えるとゆうことでもあります。
線を書いたり、鑢(やすり)を使ったり、錫をひいたり、この辺りの下仕事は、1ヶ月〜2ヶ月もすれば、できる仕事と思います。

そこで、職人になりたい人と募集をしたいと思います。
職人は、一緒に器を生み出す生命を預けるだけに、私の身内のように私の持てる技術や道具なども、できる限り提供してゆきたいと思っています。と共に、日々厳しい仕事をすることになります。
また、道具を大切にできるようになれば、鍵を預けて私が居ない時も、工房を管理してもらうこともあるでしょう。
そのあたりの感覚は掃除の仕方などから覚えられるものと思って居ます。

鎚起銅器とは、文字通り、一枚の銅板を金鎚で叩き起こし、器にする仕事。
職人修行には、時間もかかりますし、下仕事より先の仕事では、私が5分で出来ることに、2日も3日もかかってもできないこともあるでしょう。
そのひとつひとつの習得を、素直に丁寧にしてゆくことが大切と思います。

今の私の仕事の基本時間は5時30分過ぎに起床、身支度や掃除を済ませて、6時から事務仕事、8時00分頃に音を出せる様になったら製作に入る。12時頃に30分から1時間30分、その時の体調に合わせて昼休みをとって、19時30分頃まで製作。まま休憩有り。
仕事が混んでいるときは、際限なく仕事をするときもあります。徹夜のときもあったりしますし。打ち合わせのある時には、17時30分頃に仕事をやめて、身支度を整えて、夜の街に出る事も。
バーナーを多用したり、粉を使う仕事もあるため、エアコンが無いので、夏は暑く、冬は寒い工房環境です。

そんな、職人募集を、改めて始めたいと思います。
1、道具を大切にできる人
2、掃除を丁寧にしてくれる人
3、年齢25歳までの男子
4、鎚起銅器で、生計を立てたいと思っている人
5、大橋のうざったい迄の身近さを許容できる人。

以下、私のことなどを書き綴りました。
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私が鎚起銅器に出会ったのは、44年程前。父親が、燕市の老舗 玉川堂の工場長をしていて、家にも銅器が沢山あったように、おぼろげながらの記憶の中にもあります。そして、私も同じ職人として、22年目。10年玉川堂で修行し、12年前に独立をさせてもらいました。私の目指す銅器は、「想像力を育むうつわ」。なので、全てを手作業で成形してきます。金属が伸びながら縮む、一枚の板から、湯沸など器ができる様は、私自身、今でも不思議な感覚を持ちづけています。そして、その成形に対する自由度が高いのが、鎚起銅器の特徴でもあると思いますし、私も自由でありたいから独立した様に思います。
独立当初は、前職からの下請けをいただき、300万円程の年収で推移していました。数年して、下請けの仕事もなくなり、独自の営業を始めた頃には、150万円とゆう年収での推移。ちゃんと仕事として生活をできるようになったのは、5年ほど前、三方舎さんでの初個展をきっかけに、仕事が増え始めました。
3年前は、350万円、2年前は、400万円、前年は500万円と、収入も増やすことができています。
そこにゆくには、前職からの修行の下支えとがあったからこそ。
新しく修行を始める人には、その下支えの部分の補強をしてゆきたいと、強く願っています。
続けられれば、鎚起銅器の中でも手打ちの職人として、数少ない存在になれるかもしれません。
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他、普段の仕事の様子は、こちらのyoutubeをご覧いただけたら、映像としてご覧いただけます。
ご関心、ご興味ある方は、まずはお会いしてお話できたらと思っております。
職人は覚悟を持てる方、心よりお待ちしております。

2020年6月14日
大橋保隆 拝

小1文集

2020.06.11

2004年の中越沖地震の際に長岡市の震災ボランティアで出会った、東京の絵描き 長友心平さんが私の小学校一年生の時の文集を書き起こししてくださり、最近突然に送っていただきました。
なんとも稚拙で、文字量を増やすために書いていた文章と感じますが、父のことを書いています。
特に、今の仕事がやりたかったわけでも、どうしてもこの仕事ではなければならなかったわけでもなく。
この仕事しかなかっただけ、なのだろうと思う今日。
長友さんへの感謝を込め、ここに書き留めておきたいと思います。

「お父さんの仕事」
ぼくのお父さんは、つばめ市の玉川堂とゆう所につとめています。
その所で作っている物は、ついきどうきとかちゃたくとかです。
ぼくのお父さんが、作っている時は、コツコツコツコツ音がします。
はたく所をまちがえると、それをなおさなければいけません。
でもなおすのには、時かんがかかります。だからしんけんにやってます。
とんかちをとりにいくときも、どれがいいかしんけんです。
みんなの作っているのを見にいっているときは、わらう時もあります。
でも、お父さんは。 「ちゃんとやっているか。」 といいます。
するとみんなは、 「ちゃんとやっています。」 といいます。
でもそれは、トントンゆっている時はあまり、聞こえません。
お昼ごはんの時は、みんながくるので、トントンとゆう音はあまりありません
。だからみんなはゆっくり食べます。
またはじめる時はみんなが作っているのをみます。
だけど、見ない人もいます。
おとうさんは、作りおわると、こしをたたきながら作ったのをまんぞくそうに見ながら、 「やっとできたな。」 といいます。
まちがえなかったからです。
ぼくも、こうゆうゆっくりこつこつやるしごとをやりたいです。

新潟県上越市の塗師 飯塚直人さんとの共作「イイハシナオタカ」は、鎚起銅器と漆の組み合わせで、独特の表情がでます。
写真ではご覧いただけにくいところがありますが、飴色の表情が鎚目に映えて、様々な表情をみせてくれます。
新潟市内では、ヒメミズキ様、地酒の都家様にてお取り扱いいただております。
是非、手にとっていただき、肌触りも実感していただけたら幸いに思います。