日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
日々思うことなどを綴っています

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先日、新潟県新発田市 長徳寺さんで開催された「そうだ 長徳寺 いこう。」のイベントに向けて、真鍮のおりんづくり。
真鍮とゆう素材は、銅と亜鉛を混ぜた素材で、銅8:亜鉛2、銅7:亜鉛3など、その用途によって配合が変わる素材です。また、銅よりも硬く、扱い方によっては割れてしまう素材でもあります。
今回は、久しぶりに真鍮に挑みます。

おりんは、良い音を出すために厚材を使います。普段は0.8ミリから1.2ミリ。暑くても1.5ミリほどの銅材を使いますが、今回は2ミリの真鍮材を。

厚みがあれば、その分、立ち上がりも少なく、徐々に形になります。
製作方法は、銅と同じですが、バーナーで焼きなましをして覚ます際、銅は水に入れて急冷できますが、真鍮は放置して冷ます徐冷させなければ、割れてしまいます。これも合金の面白いところであり、難しいところ。
因みに、小さい真鍮のおりんも作ろうと思いますが、こちらは3ミリの素材で割れてしまいました。

磨いて完成。
こんな音のおりんとなりました。

おりんの棒は、出雲崎のOjn Handmade Hutさんにつくっていただきました。
形や厚みによって違う音色。また機会をつくり、つくってみたいと思います。

鎚起銅器に漆を塗る。
なぜ塗るのか。
普段は、イボタ蝋とゆう、以前は稲架木に干した稲につく虫を生成した、純粋な蝋を塗ります。
ただ、色にある一定の深みを出したい時、表面保護を強くしたい時。そんな時に漆を塗ります。漆を塗るといっても、全体に透明な漆を塗り、そして全部拭き取り、このように釜の中に入れて、焼いて定着させるのです。

木などに塗る、漆と同じものを使いますが、室に入れるわけではなく、焼き付けての定着。

ですので、本格的に漆の色を希望する時には本職の漆職人さんにお願いします。
こちらは、上越市の飯塚直人さんとの共作 イイハシナオタカ。

鎚起銅器の凹凸と漆の陰影が、相互に共鳴します。
このイイハシナオタカ。手に取っていただき、光に透かしみていただけたら幸いです。

小1文集

2020.06.11

2004年の中越沖地震の際に長岡市の震災ボランティアで出会った、東京の絵描き 長友心平さんが私の小学校一年生の時の文集を書き起こししてくださり、最近突然に送っていただきました。
なんとも稚拙で、文字量を増やすために書いていた文章と感じますが、父のことを書いています。
特に、今の仕事がやりたかったわけでも、どうしてもこの仕事ではなければならなかったわけでもなく。
この仕事しかなかっただけ、なのだろうと思う今日。
長友さんへの感謝を込め、ここに書き留めておきたいと思います。

「お父さんの仕事」
ぼくのお父さんは、つばめ市の玉川堂とゆう所につとめています。
その所で作っている物は、ついきどうきとかちゃたくとかです。
ぼくのお父さんが、作っている時は、コツコツコツコツ音がします。
はたく所をまちがえると、それをなおさなければいけません。
でもなおすのには、時かんがかかります。だからしんけんにやってます。
とんかちをとりにいくときも、どれがいいかしんけんです。
みんなの作っているのを見にいっているときは、わらう時もあります。
でも、お父さんは。 「ちゃんとやっているか。」 といいます。
するとみんなは、 「ちゃんとやっています。」 といいます。
でもそれは、トントンゆっている時はあまり、聞こえません。
お昼ごはんの時は、みんながくるので、トントンとゆう音はあまりありません
。だからみんなはゆっくり食べます。
またはじめる時はみんなが作っているのをみます。
だけど、見ない人もいます。
おとうさんは、作りおわると、こしをたたきながら作ったのをまんぞくそうに見ながら、 「やっとできたな。」 といいます。
まちがえなかったからです。
ぼくも、こうゆうゆっくりこつこつやるしごとをやりたいです。

ミルクパンなど、ヒメミズキさんに納品させていただきました。
是非、手に触れていただけたら幸いです。

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今回で、福岡にお招きいただくことも、3回目となりました。
主催は、ミヤムの恋するクッキング 主宰 宮村ゆかりさん。
宮村さんからは、第1回目でmailで、「福岡で開催できませんか?」
と連絡をいただいたのが始まり。
そして、第1回、第2回と重ね
今では、新潟で銅鍋料理教室も開催していただいております。
本当に、どこでご縁が繋がるのか、有難いことです。

今回の、会場は第一日目は、前回も寄せてもらった、市内パンのフルフルさん。
二日目、三日目は、とても心地よい環境の加那川市の三浦工務店さん。
宮村さんのお招きの銅鍋づくり体験は、いつも宮村さんの銅鍋料理ランチ付き。
と共に、ミニ料理教室も開催してくれて、参加のみなさんも銅鍋を使う想像が膨らんでくれるのが特徴です。
また、日々ヘビーユーザーの宮村さんの実感の籠るお話は、私もいつも勉強になります

想像力が膨らんでくれる中で、形も多様に。
そして、初めての参加者さんでも、形になる時間が段々と早くなっているのが、特徴で、これが回を重ねている場の力なのだろうなと感じる次第です

今までの30センチと共に、今回から20センチほどの小鍋2個コースもつくり小さめのお鍋を、卓上で楽しんでいただけるように提案をさせてもらいました。

最後は、ご自身の好きなローマ字か数字を打って完成。
ご自身の生み出された銅鍋は、一生ものです

そして最終日の5月12日は、第2日曜日で母の日。
お母様のプレゼントにと、一生懸命に銅鍋を二つ作られる方もおられました。
想う人のためにつくる道具は、きっと特別な使い心地でしょう。

今回も、企画してくださった宮村さんありがとうがとうございました。
そして、長崎や熊本、佐賀、宮崎と各地からご参加いただいたみなさん、心よりありがとうございます。
また、来年伺えれば幸いと思っております。
その時まで、私自身も精進したいと思います。

先日の緑青についての続き。
それに関連して、湯沸や鍋、コップなどの内側に着いている錫鍍金(すずめっき)についても。

緑青が毒だと言われていた時代に、食品が触れる部分には錫鍍金か銀鍍金をひいてくださいとの指導があったそうです。
その流れで、無毒が証明されても、今でも鎚起銅器には、錫鍍金が施されています。
一部では、銀鍍金や金鍍金を使用しているところもあるようです。
錫鍍金には、「電気鍍金」と「手での鍍金」があり
私は後者の手での錫鍍金をしています。

銅鍋づくり体験で、お持ちしている材料はこのように製作しお届けしています。
手鍍金の方が、びっちりと銅の表面を覆うことがなく
銅の成分が出てき易いと思うので、私はこの方法をとっています。
近々、研究所と共にこの辺りはデータ的に解明して、お伝えしたいと思っています。

鍍金は古くは、紀元前1500年メソポタミア時代から行なわれていたといいます。
有名なところでは、エジプトの時代 ツタンカーメン
また、日本でも奈良の大仏を金鍍金するために大量の金が使われたと言います。
現代でも、電子機器には電気鍍金の技術があることで、これだけのIT時代となっています。
緑青に付随して、こんな錫鍍金のお話もお伝えしてみました。

また、この辺りにつきましては、今後も加筆してゆきたいと思います。

本日
2019年1月1日より
新しく一歩を踏み出すこととなりました。
新潟市 ツムジグラフィカ 高橋トオル氏のデザインにより
HPを開設致します。

高橋トオル氏とは、新潟市秋葉区三方舎様での初めての個展の際に
動画の撮影をしていただき、それより6年半に渡り
様々にフライヤーやパンフレットなどのデザインをしていただきました。

http://www.sps-i.jp/event/201208tsuiki/index.htm
三方舎様での初めての個展

この6年半、私の成長する姿を支えてもらいました。
またここからも
どんどん成長してゆけるHPとなれば
と思っております。

このblogでも
イベント情報や銅器のこと
日々感じていることや
旅日記などなど
様々に発信してゆきますので
時折、ふとした時に足を運んでいただき
日本の片隅で銅板を叩き続けている職人の姿を
ご覧いただけたら幸いです。

日々の生活の中で、成長してゆく鎚起銅器
その器を使っていただくことや
その製作を通して、想像力を育んでもらえるように
精進を続けてゆきたいと思います。
今後とも、何卒、よろしくお願い致します。

大橋保隆 拝