日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
日々思うことなどを綴っています

10月3日木曜より始まりました
燕三条工場の祭典に合わせ、改装後の生活手仕事研究でも、イベントを開催しております。
まず第1弾は、縁側づくり。
「ここに縁側があったら良くないですか?」とゆう、アトリエnico 羽ヶ崎さんからご提案をいただき、「そうですね!」とゆうことで、10月4日に公開DIYとして、縁側をつくりました。
その製作工程を、お伝えさせてもらいます。

事前に届いた材料。
今回は、檜を使った縁側。
檜は、油分が多く、このような雨が当たる場所にも向いているとのこと。

先ずは、土台部分になる部分。
窓いっぱいに縁側が出るように、家本体に木材を打ちつけます。
この家は、窓が大きいことも特徴のひとつです。

左側の四角い木材が基礎となる部分。
今まであったブロックの上に置いてみたら、水平もぴったりで、スムーズ。
これまでの改装で培った羽ヶ崎さんとの息もぴったりで、どんどんと作業は進んで行きます。

基礎に合わせて、等間隔に上物を打ち付ける基礎づくり。
小学生の時に使った式算も、こんな時に役立ちます。

基礎ができたら、あとは只管に、縁台の打ちつけ。

雨も降り出しましたが、台風が来る前にと打ち込みを続け、結果二時間で終えることができました。

こんな素敵な縁側で、この秋はサンマを焼き、日本酒と共に、想像力を養いたいと思います。
本日5日土曜より、明日6日日曜まで、この工房改装DIYをご一緒してくれた羽ヶ崎章さんが、工房に11時より17時まで居られますので、ご関心ある方は、是非、工房にお越しください。
心よりお待ちしております。

燕三条 工場の祭典に合わせ
本日より7日月曜まで開催される
産地の祭典2019に合わせ
三条ものづくり学校 100号室にて
鎚起銅器職人大橋保隆の手仕事 と antique VerMeer Old English Spoonsが開催されます。

主催してくださるのは
いつもお世話になっている。
Bar Book Box store 豊島淳子さん。

いつもは
イベントの際でBar出店などでご協力いただいていましたが
今回は、アンティークスプーンと鎚起銅器の企画で
100号室前の空間を設えてくださっています。

豊島さんの経験の中で
感性に触れたものとして鎚起銅器を選んでいただけたことを
とても嬉しく思いますし
100年、200年前のイギリスの職人がつくった
アンティークスプーンと
どんな手触り肌触りがあるのか。
私もとても楽しみな展示です。

今回の企画に向け
作成されたパンフレット。
豊島さんとご挨拶と共に。
3名の言葉を大切にする方々が
文章を寄せてくださっています。
何度、噛み締めても
発見がある文章達。

手触りを通して
邂逅する職人の姿勢。
是非、足を運んでいただけたら幸いです。

この銅鍋づくり体験ツアーから、新しくつくったパンフレットを参加者さんにお配りしています。
10時から16時の長時間の体験会となりますので、このパンフレットをご覧いただき、その長い時間の流れを少しでも想像していただけたらと思い、作成いたしました。

可愛らしいアイコンが満載の、このパンフレットは、昨年の工場の祭典にて、ツバメコーヒーさんの展示でご縁のあり、当時、金沢美術工芸大学大学院生だった、水島美優さん。
私は、水島さんが企画してくれた、コーヒードリッパーを製作させてもらいました。そんなご縁で、卒業展示を拝見したりと、交流を深めさせてもらいつつ、そのアイコンの素晴らしさに、今回のパンフレットをお願いする流れとなりました。

今、水島さんは新潟に帰ってきて、FDさんに就職をされており、デザインの仕事を邁進されています。

なんどもやりとりを重ねて、裏面には取扱説明も載せ、ご自身で生み出した銅鍋を一生物として、大切に育てていただけるように。

以前、銅の錆である緑青が毒だとゆう説があり、その無毒が証明された後も、名残があるようです。実際に使っていただけたら、その使い勝手の良さや、料理のしやすさ。時間の無い中での使い勝手の素晴らしさを実感していただけると思います。

Facebookページには、参加者さんがお料理をされた模様などもupしていただいておりますので、是非、ご覧いただけたら幸いです。
鎚起銅器てづくり銅鍋愛好会


そして、是非、一緒にご自身の手で銅鍋を生み出していただけたら幸いに思います。
三条ものづくり学校では毎月開催しておりますし、各地へも道具を持って伺います。
HP blogをチェックください。心よりお待ちしております。

先日のフランスの旅で、南西フランスのみなさんに向けてのデモンストレーションを行わせてもらった様子が、地元の新聞に掲載されたとの報告をいただきました。
現地で宿を提供してくれた日置かよこさんのお陰で、この様に沢山の方々に触れていただけたことを心より嬉しく思います。

今回の旅では、地元の大工さんに体験会用の道具をつくってもらったりと、日本の手仕事を実感していただく機会があったりました。
以下、パリで案内をしてくださった中村さんが訳をしてくださったので、記載させていただきます。

昨日で、職人になり23年目に入りました。
この貴重な機会を励みに、一歩一歩着々と進めたいと思います。
これからもご縁のあるみなさん、何卒、よろしくお願いいたします。

ラ・ソヴタ・ドゥ・ドロ
//日本の伝統工芸、鎚起銅器の発見//
我々のような小さな地域では、住人である日本人に、他の日本人が訪れることは珍しい。今回の訪問には目的がある。日本銅食器の伝統技術を紹介し、Yasutoshi Oohashi がデモンストレーションをすることだ。日本の伝統と親子で受け継がれてき技芸を。
この工芸品は、生まれた地域より « Tsuiki »と呼ばれ、平らな銅板を何度も叩くことにより、茶道具だったり、酒器などの洗練された食器具に仕上げていくものだ。
Yasutoshi Oohashiは、1975年7月17日生まれ。少年の頃から、同じく職人であった父Masaaki Oohashiの後を継ぐことを夢見て、10年の修行の後、独立した。2007年より制作をはじめ、技術を伝えるアトリエを主催し、今ではとても好評となっている。彼の高貴な振る舞いや、魅力的な人格は、多くのファンを惹きつけている。クリエイターとファンのつながりは、作品の価値を高め、作品は真に唯一のものとなっている。
8月16日、エイメの「Toi Eymet Moi」アソシエーション前で行われた第一回デモンストレーションの後、同日、ソワレ・グルモンド祭の最中に、Oohashi San (日本ではこのように呼ぶ)は、祭りの実行委員会に招待され、2枚の銅板制作を、大人、子供達の前で披露し、皆、かくも遠くから来たこの技芸を興味深そうに見学した。土台は切り株、道具はハンマーのみ。精巧さと忍耐とで、作ろうとしている食器の形まで作り上げていく。
見学者から拍手を受けたOohashi Sanは、作った器を見学者たちに回し、触らせてくれた。日本ではこれで食事の際、お酒を飲むのだそうだ。そのあと、子供たちにハンマーを握らせ銅板を叩く体験もさせてくれた。着物を着た日本人女性は、彼の技芸と連絡先が記載されたパンフレットを配布した。

大きな什器も全て入り、これからは場を整えてゆく小道具の製作を進めてゆきます。普段の仕事の中では、銅鍋の取っ手を真鍮で作ったり、表札の製作には板金技術を使ったりと、鎚起銅器の技術以外の技術も複合的に使います。
そんな技術を活かしながら、吊り戸棚の取っ手や、ガスレンジの囲いなどを作ってみました。

先ずは、吊り戸棚の取っ手を二種類。
普段は、銅鍋の取っ手を作る要領で、丸めのものと、四角めのものとを製作しました。
空色の丸い取っ手は、以前作ったコンチョを利用。

続いて、S字フックと、C字フックを。
これらのフックは、鎚起銅器の銅鍋づくり体験の際に連れて行って、一緒に販売したいと思っています。
ご自身が生み出した銅鍋を愛でれるように。

こちらは、壁に取り付けるタイプのフック。

作業台が出来上がり、コンロも据え付けられた為、必要なものやアイディアも広がります。
ガスレンジ周りの油跳ねを防ぐガードも、銅板を曲げて作ってみます。こちらは、表札の奥行きを出すために縁を曲げる工程の応用です。

最後は、フランスの蚤の市で買い求めたドアノブの取り付け。
羽ヶ崎さんが持っていた、小さなウォールナットの木片と、私が切り出した銅板を組み合わせ、地としました。

10月3日木曜〜6日日曜にかけて燕三条で開催される、工場の祭典に合わせ、生活手仕事研究室もご覧いただけるようにしたいと思います。
そして、まだmだ小道具制作は、仕事の合間に進めてゆきますので、またご報告させていただきます。

徐々に形になって来ている事務所を
「手仕事研究室」と名前をつけたいと思います。
ここでは、ギャラリースペースとして
私が普段つくっているものを実際に見ていただいたり
鍋やフライパンなどを実際に使っていただく場としても
活用してゆきたいと思っています。

今回は、その中心となる作業台と本棚の製作です。
作業台は、新潟市松浜の建築士 アトリエnico 羽ヶ崎章さんの設計で、フレームを新潟港近くの造船所の方から。木材の部分をワダヨシヒトさんから作っていただき、設営にもきていただきました。

天板は、食器棚と同じで、楢の木を使い、堅木の重厚さと、木の持つ温かみを感じる、大きな作業台。
ここでの料理が楽しみで、想像が膨らみます。
大きなテーブルの上では、大きく広げられ、想像力も大きくなるように感じます。

作業台の前面には、棚も作ってもらい、収納スペースも広くなりました。
そして、私の好きな本や資料を並べるための本棚づくり。
こちらも、羽ヶ崎さんが設計してくれ、ボルトを使い上から吊るす棚となりました。
ボルトは、保養活動でも一緒している、新潟市河渡のバイク屋 CORE CRAWの中島志門さんに依頼。
本棚に合わせて金具の溶接も、手早く仕上げてくれました。

DIY的に、ホームセンターで合板を4等分にしてもらい、穴を開けて組み立てへ。

こちらも大容量で、資料や私の好きな本を並べながら、新しいことを考えられる環境が整いました。
そして、合板と金具の関係性から、たわみが気になるため金具製作を。
真鍮の丸棒を加工し、ブックスタンドを兼ねながら上下の合板を繋ぎ合わせます。

大きな什器も全て入り、ここからは小さな部分を整えてゆきます。
普段の鎚起銅器の仕事で培った技術を活かし、小道具製作に入ります。

前回、募集をしたのが平成30年の5月15日 卯月新月。
それから、1年と3ヶ月いろんな経験を積み、葉月新月の本日に改めて、職人とお手伝いさん募集について書いておきたいと思います。

この1年と3ヶ月の間に大きく変ってことと言えば、お陰様でご注文を多くいただけるようになりました。このように個人で職人を続けてゆけることは、多くのご縁に恵まれて、とても有り難いことだと、心から感じています。
また、仕事が多くなったことに伴い、線を引く、銅板を切る、鑢をかけるなど、下仕事が多くなりました。
下仕事が多くなったとゆうことは、これから鎚起銅器に触れ始める人にも収入の見込みができるとゆうこと。と共に、経験を上げる好機が増えるとゆうことでもあります。
この辺りの下仕事は、1ヶ月〜2ヶ月もすれば、できる仕事と思います。

そこで、職人になりたい人と、お手伝いをしてくれる人の募集をしたいと思います。
上記の下仕事は、職人になりたい人(以後、職人)と、お手伝いをしてくれる人(以後、お手伝いさん)共有部分。
では、職人と、お手伝いさんの違いは何か?と言いますと、職人は身内、お手伝いさんは外部からの応援となります。
職人は、 身内だけに、私の持てる技術や道具なども、できる限り提供してゆきたいと思っています。と共に、厳しい仕事をすることになります。また、道具を大切にできるようになれば、鍵を預けて私が居ない時も、工房を管理してもらうこともあるでしょう。
お手伝いさんは、私が工房にいる時に、前期の下仕事や、事務作業、掃除などを一緒にしてもらえたらと思っています。

鎚起銅器とは、文字通り、一枚の銅板を金鎚で叩き起こし、器にする仕事。
職人修行には、時間もかかりますし、下仕事より先の仕事では、私が5分で出来ることに、2日も3日もかかってもできないこともあるでしょう。
そのひとつひとつの習得を、素直に丁寧にしてゆくことが大切と思います。

今の私の仕事の基本時間は5時過ぎに起床、身支度や掃除を済ませて、6時から事務仕事、8時00分頃に音を出せる様になったら製作に入る。12時頃に30分から1時間30分、その時の体調に合わせて昼休みをとって、19時30分頃まで製作。まま休憩有り。
仕事が混んでいるときは、際限なく仕事をするときもあります。徹夜のときもあったりしますし。打ち合わせのある時には、17時30分頃に仕事をやめて、身支度を整えて、夜の街に出る事も。
バーナーを多用したり、粉を使う仕事もあるため、エアコンが無いので、夏は暑く、冬は寒い工房環境です。

そんな、職人とお手伝いさんの募集を、改めて始めたいと思います。
お手伝いさんは
1、道具を大切にできる人
2、掃除を丁寧にしてくれる人
職人は、上記と共に
3、年齢25歳までの男子
4、鎚起銅器で、生計を立てたいと思っている人
5、大橋のうざったい迄の身近さを許容できる人。

以下、私のことなどを書き綴りました。
==========
私が鎚起銅器に出会ったのは、44年程前。父親が、燕市の老舗 玉川堂の工場長をしていて、家にも銅器が沢山あったように、おぼろげながらの記憶の中にもあります。そして、私も同じ職人として、22年目。10年玉川堂で修行し、12年前に独立をさせてもらいました。私の目指す銅器は、「想像力を育むうつわ」。なので、全てを手作業で成形してきます。金属が伸びながら縮む、一枚の板から、湯沸など器ができる様は、私自身、今でも不思議な感覚を持ちづけています。そして、その成形に対する自由度が高いのが、鎚起銅器の特徴でもあると思いますし、私も自由でありたいから独立した様に思います。
独立当初は、前職からの下請けをいただき、300万円程の年収で推移していました。数年して、下請けの仕事もなくなり、独自の営業を始めた頃には、150万円とゆう年収での推移。ちゃんと仕事として生活をできるようになったのは、5年ほど前、三方舎さんでの初個展をきっかけに、仕事が増え始めました。
3年前は、350万円、2年前は、400万円、前年は500万円と、収入も増やすことができています。
そこにゆくには、前職からの修行の下支えとがあったからこそ。
新しく修行を始める人には、その下支えの部分の補強をしてゆきたいと、強く願っています。
続けられれば、鎚起銅器の中でも手打ちの職人として、数少ない存在になれるかもしれません。
==========
他、普段の仕事の様子は、こちらのyoutubeをご覧いただけたら、映像としてご覧いただけます。
ご関心、ご興味ある方は、まずはお会いして、お話できたらと思っております。
職人は覚悟を持てる方、お手伝いは大橋を助けてくれる方。
心よりお待ちしております

令和元年八月三十日 葉月新月
大橋保隆 拝

フランスから帰り、一番最初の仕事は、工房改装の続きを。
Ojn Handmade Hut ワダさんに食器棚を納めていただいたり、アトリエ nico 羽ヶ崎さんに設計してもらった、作業台になる鉄製のフレームを納めていただいたり。内装も整い始め、段々と形が見えてきています。

今回、ワダさんにお願いした食器棚は楢材。
前面の戸も裏面もガラスとなっており、大きな窓からの光の入り込みが美しいです。
そして、器を置いた時の手触りと音が心地よく、楢の美しさを十分に引き出してくれる食器棚となりました。
今まで買い求めた、お気に入りの器たちを納めてゆきたいと思います。

そして、今回は、以前のガスコンロや作業台を撤去し、中央に大きな作業台を設えます。
その為に、換気扇も伸ばす必要があり、スパイラルダクトで延長しました。
穴が空いた所には、銅の板を擦り合わせ、天井からは真鍮の棒を加工し支えとしました。
この様に、設計士の羽ヶ崎さんと、アイディアを出し合い、形にしてゆくことで、この家への愛情も一層深くなってゆきます。
そして、作り方を知っているだけに、何か異変があった時の対応も、自分でできることになります。

もう一つの制作物は、真鍮のステイ。
ただ、平板を切り出し、折り曲げ、穴を開けとゆう単純な作業ですが、天井を張った際に使った杉板の余りを、窓の上の本棚として活かすことができました。
器を置いたり、本棚にしたり、こちらも想像が膨らみます。

次回は、作業台の天板が入り、本棚が付き、スポットライトが付きと、更に形が見えてくる予定。
自分で手を入れる毎に、居心地が良くなってくる様に感じます。
10月3日木曜から6日日曜には、この場所を解放する予定です。
アトリエnico 羽ヶ崎さんも土日には、このDIYの模様を解説してくれますので、その際には、足を運んでいただけたら幸いです。

フランスも3日目。
この旅に出る目的のひとつは、西南フランスの田舎町 サバタ村を訪れること。この街には、兵庫県出身の日置かよこさんが住まれていて、宿を経営されています。かよこさんには、日本に帰国された際に、地元で銅鍋づくり体験を主催したいとの連絡をいただいたのがご縁で、2回ほど銅鍋づくりを開催していただきました。
そのご縁から、今回は新幹線で2時間40分ボルドー経由、サバタ村へ。

かよこさんの宿は、中世から残る家。パリとは違い、本来のフランスの持つ街の雰囲気を保ってくれています。
そして、田舎町の美しい自然の風景。

そして、街並みの中に溶け込む銅器たち。

この街では、地元の大工 ジョナタンとの出会いもあり、次回の渡仏に向けて、銅鍋づくり体験の木台をつくってもらうことになりました。
私はお礼に大きなお肉を焼く、40センチほどの厚めのフライパンを。
こんな田舎町では、そんな物々交換で生活が成り立っている部分もあるようです。

かよこさんが、地元の皆さんとのご縁を繋いでくださり、また、次に繋がることを願いつつ、サバタ村を後にしました。
それが今回の2019年の旅へと繋がります。

そしてまた、パリの街へ舞い戻り。
翌日は、敬愛するロダンの美術館へ。

ロダンは、この庭を観ながら、何を思ったのか。
コレクションした、ゴッホの絵を前に、何を感じていたのか。
ヨーロッパでは、名作品を身近に感じられ、ここで育まれた子供達完成は、どう育ってゆくのかと想像を膨らませます。
子供達に限らず、自分自身も含め。
そんなことを思いながら、この旅も佳境へ。

初めての海外旅行フランス、最後の夜。
相変わらず歩きに歩いて出会ったのは、フランスの鉄工所と食器屋さん。
こんな出会いも、街歩きのお陰。

記念に一本ナイフを買い、一晩明けたら帰路に。
この旅で芽生えたご縁が、今回の2019年夏のフランスへの旅へと続きます。
そして、また次回、また次回と、仕事としての渡仏を重ねてゆけるよう、精進したいと思います。

エッフェル塔のそばから出ている、セーヌ川の水上バスを見つけ、乗船してみることにしました。17ユーロで、1日乗り放題の水上バスは、観光名所をぐるぐると巡っていて、バスとは違った風景を見せてくれます。
今回は、エッフェル塔からシテ島に。

今年、工事中の火事で焼けてしまった、ノートルダム大聖堂
私が訪れた、前回はまだ、その威厳に満ちた様相を見せてくれていました。
この大聖堂の宝物館には、金属のものづくりに関わるものにとって、必見のものが沢山収蔵されており、いつかの修復が強く望まれます。

そして、前回のパリで一番に感動を覚えたサントシャペル
真っ赤なステンドグラスの部屋には、壁にぐるりと椅子が並べてあり、何時間でもこの空間に浸っていたいと思わせてくれるひとときでした。
この光に包まれながら、古の人々の祈りも続いたのでしょう。

パリはノエルの季節。
12月の本番に向けて、徐々飾り付けがされています。
街を闊歩した二日目も無事終了。
後編の西南フランスの田舎町編へと続きます。