日記

ものづくりやワークショップなどの様々な活動、
日々思うことなどを綴っています

奥能登の旅 七輪編

2020.09.12

炭職人さんに続き、伺ったのが珪藻土を切り出して七輪をつくっておられる能登燃焼器工業さん。こちらの舟場さんものがし研究所 萩のさんにご紹介いただき、訪れさせてもらいました。

仕事のお邪魔になるのではないかと思いつつも、伺った現場。やはり、職人として現場でお話をお聞きできること、現場を見れることで学びが深くなるものだなと感じたひとときでした。
そして、七輪の歴史を知ることで、またもや思い込みを外してもらいました。
七輪といえば、私も仕事で使っていますが、丸いものと思い込んでいましたが、七輪の始まりは切り出しでつくられ四角いものだったとのこと。私が想像する七輪は昭和に入ってから量産体制に入り、練り物でつくられ金型に押し込んでつくられるものだったようです。
そして、今は長方形のものが主流だとか。
当たり前に見ていて、それが当然だと思い込む危うさ。
確かに手仕事の工程を考えれば、丸いものは手間がかかり、四角く作る方が理に適っています。
一方、金型をつくり練り物でつくのであれば、丸い方が理にかなっている。
ものづくりの歴史は、理りで出来ていると考えますが、七輪にもそれを感じました。
そして、一連の流れを同世代の舟場さんからご案内いただきました。
まずは、山を掘り進める坑道入口から。

この中に入ると、電波も通じず。ひとりで黙々と作業をするとのこと。暗闇の中1日を過ごす精神力に、尊敬の念を感じずにはいられません。
この中に入り、刃物を使い手作業で掘り出すとのこと。食感としては、チョコレートやカレーのルゥのような硬さがあるようです。
こちらは、掘り出すための道具。
近辺の野鍛治職人も少なくなって来ているようです。七輪の切り出しの職人が少なくなれば、その道具をつくる職人も少なくなる。
これからは、それぞれの地域の連携が更に大切になってゆくことでしょう。

掘り出した四角い材を、成形。七輪づくりは分業制で、専門の職人さんが黙々と作業をされていました。見慣れた七輪。
丸い穴は大きなボール盤のようなもので削られていましたが、この内側のギザギザも鑿のようなもので、ひとつひとつ切り取られていました。
用途によって変わる形と、それに合わせてつくられる鑿達。美しいです。

この時点では、水分が50%ほどあるとか。これを、大きな窯で二晩。薪で焚き続けて、硬くなります。
焼き締められた後に、大きな仕上げ場に。ここで、ヤスリをかけたり、金具をつけたり、検品をされて、出荷を待つ七輪達。
この仕上げ場は、廃校になった小学校の体育館だとか。時代を感じさせる趣と、変わらない作業を続けるみなさん。

私の手元に来た、3つの七輪。
「この佇まいどうですか!」と言わずとも、この姿を見たらきっと多くの人がわかってくれると感じる七輪。

仕事で使うことがあっても、生活の中で使うことが今まではありませんでしたが、これなら使ってみたいと思わせてくれる七輪。
この秋には、秋刀魚を焼いて、茄子焼いてと想像が膨らみます。
鎚起銅器の歴史の中で、湯沸や銅鍋がよく使われた理由には、以前は炭火などのガスなどに比べて火力が弱い時代でも、熱の伝導率が良く湧きが早いために使われていたといいます。
この上に置かれた銅器はどんな表情をするだろうか、と想像しつつ。

炭職人の大野さん、七輪の舟場さんの手仕事に触れて、帰ってからの製作エネルギーをいただきました。
この留めどないエネルギーとともに、新潟に帰ります。